エッセイと言うか、作文と言うのか、思いついた時に。


2009/02/10(Tue)  緒形拳さん ありがとう。
2009年2月6日<緒形拳さんを偲ぶ会>に列席させていただいて、ご冥福をお祈りし
遺影に『緒形さん ありがとう!』と言ってきました。
<2008年10月5日に亡くなられ、享年71歳>



飾られた大きな写真の緒形拳さんに、ずっと見詰められて居たい気持ちになりました。
またその日、配られた記念誌の表紙に、同じ言葉があって驚きました。
  
わたしは05年の初仕事、映画・錦織良成監督『ミラクルバナナ』で、緒形拳さんと
夫婦役を演じさせていただいたことがある。
その折に、緒形拳さんと話をするチャンスがあったのです。感銘を受けました。

その作品では緒形さんが演じる<美濃の紙漉き職人>の妻の役を演じたのですが、
それ以前のドラマでは、主演者と脇を勤める俳優の一員、と云う関係でしたので、
遥か遠くから眺める存在の緒形拳さんと話が出来る道理も無かった。

言葉を掛けてもらえたのは、得がたい体験。幸運だった。

その時、緒形拳さんから伺った言葉は、全て<後輩俳優への>励ましでした。
緒形拳さんからの<温かいよいしょ>の言葉に励まされ、多くの勇気を得たわたしは、
自分のお客さまにも聞いていただきたくて『待ち時間がもっと続けばいいのに・・・』
の題で綴って、このホームページに載せました。

その内容の殆どが、映画『Shall we ダンス?』でのわたし・たま子先生の存在
に関するものでした。緒形拳さんは、誉めてくださったの!

『そして何より “これが私の代表作です” と言い切れる作品に出逢えた事が 
非常に良かったですね。立派な作品に沢山係わっていても そう言い切れる
作品には 仲々出逢えないものですからね。』と付け加えられたのです。

(・・・こう語られた時、緒形拳さんは<ご自身の死>を既に見詰めておられたのですよね。・・・それであの言葉を掛けてくださったのだと思います。それで、どうしても『緒形拳さんありがとう!』と言いたくて、出席させてもらいました。・・・・そして<偲ぶ会>から戻った今、自分の芝居のコト・自分より若い人への接し方について改めて考えている・・・頑張らなくっちゃ〜!と。)

それなのにわたしは、緒形さんのよいしょの言葉で図に乗ってしまい
『わたし残念なんです。周防正行監督が9年間、沈黙を守っておられるのは
勿体無い。そう思いませんか?』と聞いた。

緒形拳さんは
『心配しなくても大丈夫ですよ草村さん。あれだけの才能のある監督さんです。
周防監督は どうしても撮りたい題材と気持ちが揃い・熟成するのを
待って居られるんですよ。
止むに止まれぬ思いが湧き上がって、溢れ出て発表したいという気持ちを
ぶち込むからこそ“良い作品”が出来るんです!』と仰ったの。
(・・・実際に、周防監督はその翌年、話題作『それでもボクはやってない』を発表されました。)

<ひと言の役でもいいから、周防組で仕事がしたい>等と云うチッポケな望みではなく
映画を愛する人間として<良い次回作を期待し・心待ちにしておられる>人物
緒形拳さんの、魂の在り様がまぶしかった。
優れた俳優さんの心の豊かさと 芸の道の深さに、深い感銘を受けました。
(偲ぶ会で「自分も頑張らなければ!」と思ったコト、それを考えさせられたスピーチの報告をする心算で書き始めたのですが、やっはり「ありがとう」しか言えなくて・・・。)
  
     日本中の人と共に、緒形拳さんに『ありがとう!』を言いたい 草村礼子



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