エッセイと言うか、作文と言うのか、思いついた時に。


2004/10/29(Fri)  勝負服&勝負下着。
これまでにテレビ朝日の『徹子の部屋』二度出演させて貰っているが
徹子さんの問いかけに答えている母の姿も写っている、二回目の出演テープを
(黒柳徹子さんのこころ配りのお陰で、見学について来た母にもスタッフがワイヤレスマイクを装着して下さったので)
よし子さんを偲ぶ会で、お客さまと共に見た。

一度目の出演は「一人芝居じょんがら民宿こぼれ話」で文化庁の芸術祭賞をいただいた折だったが
“晴れの舞台・徹子の部屋”出演のために新調したツーピースを着用している。

二回目の「Shall we ダンス?」で助演女優賞を頂いての出演の時には
周防正行監督と初めてお逢いしたオーデションの時に着ていった
わたしの“勝負服”を着て出かけました。

わたしの代表作ともなった“たま子先生”と、めぐり合うチャンスを作ってくれた 
小豆色のそのツーピースには、思い入れもあって
また、上手にお話が出来るように、とゲンを担いで着たのですが
“晴れの舞台”には不釣合いな古っピさ。あはは。

家族からは『一応は女優なンだから、衣裳ぐらいもう少し何とかしろヨ』と
注意をされながらもその後にも愛用し、何回も大事な時には袖を通していろ。
あはは。

そんな、わたしの“勝負服”姿を見ながら
そう云えばわたしは“勝負下着”ってものも持っている!と思い出し
噴出してしまった。

(劇団を離れたばかりの頃だから、もう25年ぐらい前の事になるのかな)

日生劇場での若尾文子さん主演の舞台で、北條秀司作演出『明治の雪』に参加した折に
若尾さんの相手役で出ておいでになった
前進座の中村翫右衛門先生から戴いた手拭いをベースに作った和服用の肌着が
その時からずっと、わたしの“勝負下着”となっている。

木偶の味 なぞ知りそめて それからが
  =でくのあじ なぞしりそめて それからが=と染め抜かれている。

(ひたすら謙虚に、しかし、点滴を打ちながらもシャニムニ前進したい、と
舞台に立って居られた翫右衛門先生の姿に感動し、少しでもあやかりたいと考えて
右の胸にその文字を裏表に縫込み、抱いている)

肌着なので人目に触れる事はない。
先生のその言葉への思いを忘れないようにしたかったので
鏡に映った時に読んで、確認出来るよう裏表に縫ってみた。

舞台の初日とか撮影初日や、祈りたくなるような難しい役のときに着ているのだが
これもだいぶ、古っピくなってしまった。あはは。

   木偶人形も登場する前進座の舞台「お登勢」を観て来た日に LEIKO 

 


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