エッセイと言うか、作文と言うのか、思いついた時に。


2007/05/21(Mon)  父との対話
4月半ばから名古屋〜仙台〜盛岡〜秋田〜札幌〜山形〜福島〜新潟と巡業し、この後も7月7日まで続くホテルでの生活にも、やっと馴染んでまとまった文章は書けないながら、毎日ノートパソコンを開く。

相変わらず、ドジなわたしなので折角書いた長文のメールをパーにしたり
夕べも、パソコンの接続が上手く行かなくなって、あたふたした。 あはは。
原因を探しアレコレしながら、何故か前近代的な【タタリ】のように思った。
ホテルマンは 『当ホテルの接続のセイだ』 と答えたが、わたしには父が
『自分だけ楽しい思いをしていないで、オレノコトモ、スコシハ、カンガエテヨ』と、言いに来た気がした。あはは。 そして日記に書いた。

(戦争の終わる半年前・1944年の暮れに亡くなった<わたしの父親>は、今日わたし達がマイ・フェア・レデイの公演をする<新潟県の出身者>です。 父は山奥の松之山で生まれた。 戦争前のことで、耕す畑は与えてもらえなかった次男坊は、東京に出て働いた。 そして、当時あった治安維持法に引っかかって、拘束され重い結核に罹って、亡くなるハメになった。 それでわたしは人一倍 「 戦争は嫌だ。」と思う人間になった心算なのに、最近は平和のための活動が、鈍っている。 一人芝居もしていないし・・・・・と、考えさせられた。)

・・・・・『 憲法改正の話題を、避けていて大丈夫なのか、れいこ? 』    と、父から問われているような気がしてならなかったンです。「マイ・フェア・レデイ」の楽しいニュースを期待してた読者からは『私も新潟県人なので、ヘェーと読み始めたのですが・・・なんとも切ないお話で、言葉もありません。新潟の人たちに感動をありがとうございます!』との返事でした。

         *  *  *  *  *  *  *

世の中で一番楽しいコト・演劇をしている時だから世の中で一番残酷なコト・戦争を考えるのかしら?60年も前に死んだ父からの問いかけに、答えます。『核兵器を開発してしまった我々・地球上の人間はもう、戦争は出来ません。ソレをよく知っているわたし達日本人は、ソレを世界に発信し続ける義務を負う。日本の未来のために、今一番大事なコトは、平和憲法を持ち続ける事ですね?』  

           新潟〜富山のバスの中で 答を考えた LEIKO


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