2004/07/02(Fri)
母の寄り道
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寄り道なんて言い方をしたらいけないのかもしれない。 かもしれない、ではなく、絶対に他の言葉に置き換えるべきだ と、自分でも思うのだが亡くなった母を偲ぶ、ちいさなリーフレットに
『母は天国への旅に出ました。 その旅の途中 献体という医学の後進を育てるための寄り道 この夏 2004/8/9に その任務を終えて、わたし達の許に帰ってきます』と、書いた。
子どもの時の、道草の思い出にも繋がるからか 寄り道 という言葉の持つ意味の中には、どこか楽しげな感じもする。
わたしの知人は『献体が、自分に出来る唯一つの社会貢献なので』 と語られ、実際に献体なされた方もおいでになるので そういった尊い気持ちで献体を為さっておられる人々を 貶める事になるような言葉使いは避けたいとも思っているのに 他に言い換える言葉が探せない。
母の死から2年半、ようやくその死を語れるようになった。 だからといって常時、平気で語れるという訳ではモチロンない。
買物中のスーパーで母に良く似た体型の人を見かけただけでも ウルウルしてしまう人間なので 充分に用心をしていないと、とんでもない事になる。
ケラケラ笑って話をしていたのに突然ポロポロッな〜んて 相手を驚かせてしまうのです。 そんなわたしが泣かずに母の死を語ると つい、言い回しがこんなふうになってしまう。
幾つに成っても子は、母親に甘える気持ちを忘れられないのかなぁ。 母は 2001/10/8 に亡くなったのに、その後もずっと 「アッチの方角にいる」と献体先の、東海大学があると思われる 富士山の方角を、事ある毎に眺めていた。
母の天国への旅を『悲しい』のひと言だけで括らずに済んだのは 献体のお陰なのです。
それでも今日も、あっちの方を見てもの思う LEIKO
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