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ここまで足を伸ばしてくださって、ありがと。(⌒ー⌒)。聞いてもらいたい・
見ていただきたい自慢の写真や話を並べました。(最上段が新しい記事)
『TV・映画』『くらし』『舞台・ライブ』『旅・ダンス』『新聞・雑誌』『はてな?』
各コーナーの目次をご参照の上、ごゆっくりなさってネ!ふふ。(⌒ー⌒)。

歩き遍路の続き・・・56番札所から64番まで。

2008.11.20

08年11月7日から14日まで、一週間の休暇を取って母の故郷四国への旅に出ました。
旅のメンバーは、昨年の歩き遍路と同じ。わたしと我が人生の相棒と弟です。
わが人生の相棒と弟と

今回の予定には難所がありました。そこに登る為に、新調したトレッキングシューズを着用↑。
60番札所・横峰寺は四国で一番高い〈石鎚山〉の中腹にあるのです。

わたしの一人芝居『じょんがら民宿こぼれ話』の初めての旅公演は高知でした。それ以来ず〜っとお付き合いの続いている土佐佐賀町の友人との交流会からスタート。
土佐佐賀町の友人と
心のこもった手作りお寿司や、四万十の鮎・おきゅうとの甘辛煮・カツオの塩たたきなど、パクパクパクと・・・・殆どを食べてしまってから開始したスナップ↓。川エビのから揚げ。あはは。
川エビのから揚げ

浜田さんは『ニコの種』という、民間の作業所を運営しています。通所している5〜6名の人が貝殻利用のグッズとか↓さおりの小物を作っています。


後ろに見える、儚げな淡いピンク色の電気スタンドは<ウニの殻>を利用したものなの。

高知市内には『去年来たばかりなのに、又来たンですか〜!』と、言いながら席を設けてくれる相棒の友人や、一人芝居がご縁の友人との交流会も!

母のお墓参りと歩き遍路がメイン、と言いながら<ご馳走三味>からスタートするのってわたしらしいのかもね。ふふ。

高知から宇和島に移動して、菩提寺で母の供養を。住職さん・そのお孫さん達と。
母の菩提寺の住職さん・そのお孫さん達と

母の身よりは少ないけれど、お墓参りには小さな友人が一緒に来てくれました。母は喜んでいたと・・・・。


この後、道後温泉に投宿。ここでも歩き遍路に備えて英気を養うべく舌鼓。四国は魚も野菜も超・新鮮な上、空気が美味しいので、食が進む進む!『この2日で1キロ半も太っちゃった!』と、三人で笑い合ったが、困ったもんだ。体重は減らす時はとっても大変なのに、増える時はアッと云う間よネッ。
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最初は気恥ずかしく思ったこの姿ですが、今回もこんな↓いでたちで。(すれ違う四国の人々は、必ずのように『ご苦労さま!』とか『気をつけて』の声をかけてくれます。)
お遍路いでたち

道後温泉で英気を養った三人は、11月9日早朝、元気にJRで今治に移動。56番札所の泰山寺から歩き始めました。
泰山寺から

空気も良いし、景色も良いのでシャッターはどこで切っても大丈夫、って感じ。
↓この柿を内緒でひとつ頂戴した人物 の名は伏せますが『甘柿だ』ったそうです!
柿の木
ふふ。そう言うわたしも、ある休憩所のお地蔵様に供えてあった<おみかん>を1ヶ頂戴しました。ちゃんと「イタダキマ〜ス」は云いましたよ!それが、とっても新鮮で美味しいミカンだったのっ!
この後すぐ、収穫中の農家の小父さんが、どっさりのミカンをくださったのよ!わたし達の様子をドコかで見ていたのかしらネ?
三人は『これで十分です』って、遠慮深い返事。(・・・・・・だって、欲張るとリュックが重くなるでしょ?)あはは。
それにしても四国の人って、歩き遍路に優しいの!

ここで、歩き遍路の携帯用品のひとつ<納め札>をお見せします。
↓左の錦の納め札は、八十八ヶ所の巡礼を百回もなさった方しか使えない札です。友人がお守りに(わたしの巡礼が結願するように、と貰ってきてくれたモノなの!)
納め札
「エッヘン」と咳払いをしてご説明をしますね。 わたし達の札は白。(2年で、やっと19ヵ寺なので、八十八ヶ所を一回廻るのだけでも大変そうな我々に、縁はなさそうですが、白札の次は=巡拝5年目から緑色の札で、そのあと赤・銀・金・錦となります。ふう。

お寺に着くと、手と口を清め、リュックを下ろし、脱いだ菅笠を立てかけた金剛杖に預けます。
それからお線香とロウソクをたて<お経を納めます>と納め札と、お賽銭をあげ、お経を唱えます。
お経
↑のように、周囲に人気のない時は大きな声でお経を唱えます。で、他の人の居る時は恥ずかしいので小声で!(あはは)
お経は下手なのに<オネガイ>する事はスラスラと言えるのが不思議! ・・・しかも、自分でも<あれっぽっちのお賽銭なのに、こんなにいっぱいオネガイしてる!!>と、笑ってしまうほど<オネガイ>をしてるのよね〜。あはは。
唯一の救いは、オネガイの殆どが甥っ子や姪っ子の健康と幸福と、彼らの親の健康を祈っていたコトかな?

遍路初日は元気満々。↓58番札所・仙遊寺で。
58番札所・仙遊寺で
途中で『奥さんは姿勢が好いけど秘訣は何なの?』『へぇ〜、ダンスはやっぱり良いンだわ!』等と声を掛けられたりもしたので上機嫌で歩いて、58番札所は難なく到達し、弘法大師さまとの握手も。
弘法大師さまとの握手
↑ここら辺り迄は快調だったのですが、背負う荷物を増やしたくないので、替えの靴を持たずに登山用の靴で、コンクリート道路を長時間歩いた為に、足が悲鳴をあげはじめ、59番札所の国分寺に着いたのは閉門の寸前だったので、納経帖にお印を頂くのが精いっぱい。宿の相談ドコロではなかった。(大慌てで周囲を見回したが、助けてくれそうなモノは、何もナイ!)
『明るいうちに辿り着ける筈だから<湯の浦温泉>辺りに泊れば好いか〜』とタカを括っていたわたしは、この日の宿を決めていなかったのっ。 ・・・・日も落ちてから宿を探す不安に怯え、真っ青に!
その時『あら〜っ!名前は分からないけど、確かスターさんですよね〜』と声を掛けてくれた女性がいて、助かりました!あはは。『市がやっているから安心だし、キレイな宿泊施設』と紹介された宿の予約もOKに。
思いがけないこの言葉に三人とも噴出して、文句を言う気力も無かった弟と相棒も、ほっとした様子。笑ったお陰で少し元気になって歩き出したけれど、湯の浦温泉までの4キロの夜の行軍はしんどかった!
宿に辿り着く頃には、足はガクガク!
(行き当たりバッタリも旅の楽しさ、な〜んて云う横着な考えも、反省すべきですね。ふふ。それに交番とかタクシーが、身近にあって常時利用出来る事って<ありがたいコトだった>と身にしみて思いました!)

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湯の浦温泉には素泊まりでも1万2千円もするゴージャスなホテルもあったが、紹介された<今治湯ノ浦ハイツ>はそこに劣らぬ立派な造りで、温泉も良いし、普通料金の夕食でも十分な美味しさでした!
疲れを癒し、翌朝も(皆が少々カラ元気?)早起き。↓記念写真も!
記念写真
今回の旅では、嬉しい出会いもいっぱいありましたが、忘れ物もいっぱい!
その一『弟の白衣は、去年のを忘れた為に、↑袖なしに変化してま〜す!』

朝は一応カラ元気を出して出発したものの、お目当ての<コーヒーハウス>が休日でガックリしての休憩。
相棒と弟
『我が相棒は、普段もこんなふうに↑概ねメガネをかけて暮らしていま〜す。』

『同行二人』と書かれた菅笠ですが、かなり大きいので日よけにはなりますが、時として<ジャマ>な代物でもありました。不慣れなわたしは、自分が持っている金剛杖で自分の頭をしょっちゅう突いてる感じ。また、首を動かす度に背負っているリュックにも触れるので、首に負担がかかるの。 それで、この日は登山に備え、菅笠をリュックにくくりつけて、手拭いを被りました。


松山の道後温泉と、今治の湯の浦温泉の効果?・・・・・どちらもお肌には効果があった?あはは。
実はこの日<自分のリュックの中身を少しずつ分配>して、助けてもらっていたので、一人だけ元気だったのかも!あはは。


わたし達は<昔、山登りをしていた弟>をかなり頼っていま〜す。

あはは。いよいよ、今回の難関、山登りに差し掛かる前に、ふたつ目の、忘れ物発見。

弟が『財布を<湯の浦温泉の金庫>の中に置き忘れた』のっ。
重たい荷物背負って、頭に血が廻らなくなったのカナ?免許証が入っていると言うので、取りに戻ることにして、昼過ぎ早々に<湯の里・小町温泉しこくや>に投宿を決めた。あはは。
親切な宿のスタッフに車を借りてドライブ。高速道路も使ってお財布を取りに行くハメに。ふう。

早めに寝たから翌朝は皆、元気。難関の石鎚山の中腹にある横峰寺を目指した。
『ここの温泉も、好い温泉だったね〜!』と歩き出して一時間。
又しても弟『出発寸前にロビーの椅子に・・・菅笠を置き忘れた』と言う。
流石のわたしも・・・・・・・・書きたくなかったなあ。あはは。
前の日の忘れ物を取りに行くために寄った宿で、又忘れ物をしたのよっ!・・・アア、恥ずかしい!
デモ弟の荷物は↓この通り! 弟の荷物
・・ふふ。やはり重そうね。頼られたら『嫌ダ』って言いにくいから、気の毒だわネ?
写真上の方に居るのは、マイペースな相棒です。少し早く登って、お山の大将気分?

わたしはケガが怖いので登りも下りもマイペースで歩きます。それに、合わせる人は大変らしい!

マイペースで追いついたわたしは、ここで<忘れ物の、その四>に気がつきました!
相棒がメガネをしてないの。・・・・・聞けば『かなり下の沢で、顔を洗った時に岩の上に置いた』らしい。
『ふう。折角、ココ迄登ったのになぁ』・・・・モチロン、相棒は<ため息をもらしつつ>取りに戻りました。あはは。


弟とわたしは『次の忘れ物は、自分の名前、な〜んてコトにならないようにしたいわね』と、話しながら相棒が戻ってくるのを待ちました。(最近のわたし、アルツハイマーの役が多くなっても居るので、これは、かなりマジな笑い話ではありました。ガンバ!)

60番札所・横峰寺に到着!途中の山道を往復した我が相棒のバンザイは、本気!あはは。
相棒のバンザイ
本音でふう!の、わたし。 本音でふう!の、わたし。
↑のスナップを撮った後、カメラを石畳に落っことしたので、この後の写真はナシになりました。ふう。

色々ありましたが何とか無事に下山し、ヘロヘロの足で小松の町に入りました。
山道は登りより下りがキツイのね。以外に時間がかかって、61番札所の閉門には間に合わない・・・・。途端に、余計重たくなる足。
道を訪ねた方に宿まで送ってもらったの。(わたしの目つきや雰囲気から察して『送りましょうか』と言ってくれた若い夫婦に甘えてしまいました。)・・・・この日も、四国人の優しさに助けられた!

翌朝、61番札所・香園寺にお参りした後、その家まで足を伸ばしてみたが不在。
<ありがとう!>のカードを投函して、62番・宝寿寺と63番の吉祥寺へと巡礼。
わたしの住む武蔵野には吉祥寺の地名はあるが、吉祥寺と云うお寺は無い。
でも吉祥寺には、深いご縁が!・・・わたしが生涯、大切に持ち続けるべきお守りがここにあったんで〜す!(大枚・千円を投資。)ふふ。
吉祥寺のお守り1 吉祥寺のお守り2
秘守って、なっていますがピンピン・コロリ<ぽっくり>を祈るわたしに、ピッタリのお守りだったのっ!ラッキー!
弟から、ケータイの写真が送られてきたら、追加報告があるかもですが、一応今回の歩き遍路の報告は『ヨカッタ好かった。チャンチャンっ!』と、幕を下ろす事に・・・・。

(⌒ー⌒) 蛇足の報告?(⌒ー⌒)

1) この後64番の前神寺に参った後、松山にJRで戻り再度道後温泉に浸って 帰京。帰京した日に、ボデイメンテナンスにも立ち寄り疲れた足のケァをお願しましたが、次の日(日曜日)の、夢のダンスも、月曜日の早朝ロケにも、元気に参加しました。

2) 『今回の歩き遍路では、母に<お客さまの健康>も、頼んできましたからね〜。』 ふふ。


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