THE BIG O 【KEYWORD】 〜Spirit of Love 山本淳一ファンサイト |
THE BIG O シェル・シルヴァスタインの、「THE MISSING PIECE」という絵本を初めて読んだのは、たしか高校の頃だったと思います。この作家の他の絵本…正式なタイトルは忘れたけど、たしか「THE APPLE TREE」じゃなかったかなあ…自己犠牲の固まりのような、りんごの木の話。その絵本を、英語の先生が副教材としてコピーして配った(これって、今から考えると、完全に著作権法違反だったのねぇ(^ ^;))のを読んだのが初めて。この話は、正直いって、好きにはなれなかった。好きな人にとことん尽くすのは、幸せかもしれないけど…みじめだよ(^ ^;)。好きじゃなかったけど、とっても印象深い話でした。 それで、他の話も読んでみたくて探して、洋書の絵本のコーナーで、この作家の他の絵本「THE MISSING PIECE」を見つけました。シンプルな線、単純な色。パックマンのような、一部が「欠けた」キャラが、自分の「かけら」を探して旅する話。言葉も、英語力がゼロに近い私にもわかるような平易な単語だけで構成されてるのに、味わい深くて、いい話でした。 この話を読んだのは、高校も終わりの頃で、受験とか色んなことでとても辛くて、追いつめられてて… 元々、「自分」はなにかが欠けた、どこか「まともじゃない」人間なんじゃないか、って感じが付きまとって離れなかったから、余計ね…色々考えちゃったなあ… でも、この時代を過ぎてしまうと、そういう思いは、誰もが多かれ少なかれ抱くもので、自分だけが特異なわけじゃないってことが分かったし、今では多少足りなくったって、なにが悪いの?…と開き直れるようになったら、楽になったけどね(^ ^;)。 で、この話の続きを読んだのは、大学に入った頃でした。ふらりと立ち寄った本屋に続編の「THE MISSING PIECE MEETS THE BIG O」がありました。 続編は、置き去りにされた「かけら」の話。ずっと寂しく待ってるだけで、自分ではなんの行動も起こさなかった「かけら」が、欠ける部分のない、完全な「THE BIG O」に会って、そして……… この絵本を初めて読んで、「THE BIG O」をみた時に、「…これは、淳くんだなあ…」って思ったんです。 「ここは本当の自分の世界ではないのではないか?帰るべきところが他にあるんじゃないか?」と、自分の存在する世界に違和感を抱くことは、ある程度は誰にだってあるのではないかと思います。 その度合いは、人によって違うでしょうが… でもそういう気持ちって、自分と、自分をとりまく「世界」の折り合いをうまくつけられない時の、「逃避思考」にすぎないんですよね。かといって、そうだとわかっていても、「なにかが足りない」という「欠落感」、その大事な何か、足りないものを埋めてくれるものに対する「飢餓感」というのは消えるものじゃなくて。 で、淳くんは…淳くんには、「欠けた」ところがないんじゃないか?「THE BIG O」なんじゃないか、と思ったんです。淳くん自体は完璧な人間には程遠いけど、淳くんはこの世界で、満たされていて、自分自身の存在をあるがままに受け止めて、自分の存在を肯定的にみなすこと…自分を、世界を愛すること…を、ごく当たり前のことしています。誰かに愛されてるからとか、誰かに必要とされているから、自分に価値があるのだ…というような、他人に自己の価値の立脚点を見出しているのではなく、もっと絶対的な評価として、自分の価値をわかってるんでしょうね。 淳くんのまわりの空気が優しいのも、きっと淳くんが満たされているから、まわりの世界に対して攻撃や否定をする必要がないから…なのではないでしょうか。 淳くんの歌は、優しいです。空気が、やわらかい。生の歌を聞いていると、癒されるような感じがするんですよね。淳くんは歌にのせて、世界と自分を愛することを教えてくれます。 …ただ。 飢餓感を感じながらも「仕方がない」とあきらめる人もいる一方で、飢餓感や自分と自分をとりまく世界の間の溝を埋めようとして、あがく人がいます。その埋め合わせの仕方は色々あるでしょうが、「創作」「表現」というのもその方法のひとつでしょう。だからこそ、「孤独」をテーマにした小説や映画が歌が多いんでしょうねぇ… 創作や表現の分野においては、この飢餓感は大きな原動力となります。 飢餓感に欠ける淳くんは、表現しなきゃ生きていけない、差し迫った苦しさがあるわけじゃないだけに、もうひとつ迫力にかけたというか…特に光GENJI時代って、甘ちゃんだったんですよね。優しいんだけど、それだけで終わってしまうような。 私自身は、その淳くんの優しさが好きだったけど、でも物足りなさも感じていました。…このまま、このスケールで終わっちゃうんじゃないかなあ…って。 でも、光GENJIが解散してからは、淳くんもかわったみたいです。 もちろん、今でも淳くんは、自分のかけらを求めてさまよい歩く必要も、「かけら」である自分を探しに来てくれるだれかを待つ必要もなく、満たされた「THE BIG O」でしょう。でも、形として欠けた部分はないにしても、もっと大きくなりたい!!という欲求が出てきたようで。 新しい世界を体験して、それを自分のものとして吸収して、少しずつ大きくなってるみたいです。 96年は、いい意味で期待を裏切ってくれたけど、これから先、どこまで大きくなるんでしょうか? それが一番楽しみですね。 ちなみに、「THE MISSING PIECE」の邦題は、「ぼくをさがして」です。最近はどこの書店でもかなりの数を仕入れていますので、もしよければ、目を通してください。 (97/3/12) 【KEYWORD】に戻る |