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1.新たな町の住人

 パロスの姿が見えなくなるまで、ルカはその場に立たされたままだった。
 それからやっと、ルカを捕らえている妖精族の男が歩き出し、ルカも歩き出した。
 畑からセイロンの仕事場になっている家の横を過ぎ、また別の作物を植えた畑の畦道を通って、やがて大きな道に出た。
 左右には赤い土壁で出来た建物が並んでいる。カザートに来たばかりのルカには、それが妖精族の家なのか、人族の家なのかは分からない。しかし暫く歩くうちに、ルカの周りに妖精族が集まってきた。
 おもしろい見世物でも見るかのように、代わる代わるルカを覗き込んでいく。
 ルカの縄を引くエルフは、わざとゆっくりと歩いていた。ルカの前を歩くエルフも同じだ。
 ルカを指差し、妖精族の子どもが笑う。
 どんな罪状になってんだ?
 まだ罪が確定したわけでもないのに、もう囚人になったような気分だ。
 妖精族に怪我させたら、無実ってわけにはいかないよな。
 他人事のように、ぼんやりと考える。さっきルカを笑った妖精族の子どもは、連行されているルカの姿がおもしろかったわけではないだろう。その後にどんな刑を受けるか想像して楽しんでいるのだ。
 実際のところ、パロスは大した怪我はしていないだろう。怪我をしていたとしても、すぐに治る。妖精族は人族よりも頑丈だ。ルカも、パロスが大怪我にならないよう加減した。
 とは言え、奴隷階級である人族は本来、主である妖精族に逆らうことは許されていない。怪我や被害の度合いとは関係なく、主に反論しただけで絞首刑にされたという話もよく聞く。
 ま、俺はパロスの奴隷じゃないし、そこまでってことはないだろうけど。
 ルカはこれまでにも妖精族に反発し、捕らえられたことがあった。それでも今まで生きてこられたのだから今回も何とかなる。そう思った。

 城に着くと門番らしきエルフが、ルカを連行しているエルフに
「今、王はおりません。代わりに王女がいらっしゃいますので、中でお待ちください」
 と言った。
 軽い怪我をさせただけだと思うが、王が出てくるような事態に発展しているらしい。実際のところ王は留守で、王女が対応するらしいが。
 ルカは二人のエルフに連れられて、城の中へ進んだ。
 廊下の角を何度か曲がって、やがて部屋に通された。
 そこが裁判所であることは、同じような場所を何度か見た事のあるルカにはすぐに分かった。
 パロスは既に来ていて、原告の座る席に踏ん反り返っている。
 ルカは縄をされたまま、被告の席に立たされた。
 暫くして、ルカが入った入り口とは別の入り口から妖精族の女が姿を見せた。それが王女かと思ったが、その女は入り口の横で歩みを止めた。
「裁判長代理、イーメル殿下」
 女が高らかに言う。
 同じ入り口から、豪華な装飾具に身を包んだ妖精族の女が現れた。
 白に近い色の髪は、外からの光を受けて時折煌いている。カザートに来てから初めて見る髪色だ。身長はそれ程高くなく、少しばかり頭の比率が大きい為、人族の感覚では十四、五歳くらいに見える。
 綺麗なひとだ。
 ルカは思った。
 着飾っているせいだけではないだろう。妖精族特有の大きな瞳も、先の尖った耳も、適度な大きさに収まっているし、人族の感覚では年老いて見えてしまう白髪も、妖精族であれば気にならなかった。
「この度は、裁判長である王が不在の為、わらわが裁判を執り行う」
 透き通った声が部屋に響いた。
「被告は原告パロス殿に対し、暴力を振るい怪我を負わせた。これに異存はないか」
 パロスに異存があるわけがない。
 ルカも、イーメルが言ったこと自体はその通りであるから、異存はなかった。
「言いたいことがあるなら聞く。何か」
 イーメルが言うと、パロスが立ち上がった。
「こやつめは、仕事に従事していた私を輿から落としました。他の奴隷どもが見ている目の前で、私を陥れようとしたのです。これからの仕事に支障が出るに違いありません」
 パロスが席に座る。
 イーメルが頷いた。それから、ルカに目を向ける。
「そなたは何か言いたいことはあるか?」
「俺は、別にこいつを陥れようとしたわけじゃないし、皆の仕事の邪魔をするつもりもなかった。ただ酷い目にあっていたツェータを助けたかっただけだ」
 ルカが言い終わると、やはりイーメルは頷いた。
「判決を言い渡す。原告が被告に怪我を負わせた事は事実であるが、幸いその怪我も軽く済んだ。よって、原告は厳重注意を受けることを課す。以上で裁判を終わりとする」
 イーメルの言葉にパロスは不満そうな顔を見せたが、部屋から出て行った。ルカを連れてきたパロスの従者も、パロスの後を追うように出て行く。
「厳重注意は別室で行なう。この者の案内に従え」
 イーメルが言い、先に部屋から出て行った。
 ルカの前に、入り口の横で待機していた女が来た。
「ついて来なさい」
 青い長い髪を片側で前に垂らし、手には簡単な武器くらいにはなりそうな長い杖を持っている。簡素な服装からして位は高くなさそうだが、それでも髪飾には金や宝石が使われているから、この城が豊かであることが分かる。
 女の案内で別の部屋に移動すると、そこにはイーメルと数名の侍女、それに数名の兵士が居た。
「お前達は良い。下がれ」
 イーメルが自分の傍に立っている兵士に言った。
「しかし、」
「構わぬ。たかが軽犯罪者じゃ。それに、人族ごときにわらわを傷つけることはできぬ」
 言われて、兵士達は部屋から出て行った。
 イーメルと向かい合ってルカは座った。
 イーメルが先ほどの青い髪の侍女に何かささやくと、侍女はルカを縛っている縄を解き、またイーメルの後ろに戻った。
「いいのか?」
 自由になった両手を動かしてみて、ルカは言った。
「そなたが厳重注意のみで済まされるのは、相手がパロスだったからじゃ」
 ルカの問いには答えず、イーメルが話し始めた。
「他のエルフが相手であれば、懲役刑は免れなかったであろう」
「なんでだ? パロスもあんたらと同じ妖精族じゃないか」
「王女に向かって、なんという口の利き方を」
 青い髪の侍女が横から口を挟む。
 イーメルは侍女の前に手を延べて、身を乗り出した侍女を留めた。
「パロスが起こす裁判の数があまりにも多くて、こちらも困っておるのじゃ。しかも小さなことばかり。しかし法律で定めたからには、裁判を起こすなと言うわけにもいかぬであろう」
 あまり困ったような顔は見せずに、イーメルが言う。
「とは言え、怪我をさせたのは事実のようだし、次にまた問題を起こしたらその時は命の保障はないと思え」
 青い瞳が、ルカを見下ろす。
 イーメルとルカは向かい合っているが、イーメルの方が高い位置に居る。妖精族はいつもそうだ。決して人族より目線を低くすることは無い。
「怪我をさせたことは悪いと思っている。でも、あの時ツェータが受けた痛みに比べれば」
「言い訳はもう良い。良いか? その老人が働かずして糧を得れば、必ず他の人族から文句を言われる。パロスのやったことは、度が過ぎていたかもしれないが、当然のことじゃ」
 ルカが言いかけた言葉を遮って、イーメルが言った。
 パロスも似たようなことを言っていたように思う。
「俺が生まれた町では、重労働は若者がやって、老人は蓄えた知識で町を守っていたし、ちゃんと敬われていた」
「老人を敬う? 百年にも満たぬ知識が一体何の役に立つ」
 妖精族は人族と比べて長命だ。一般の妖精族でも百五十年ほど生きる。王族になると二百年を超えて生きることも多々あるのだ。
「なるほど。確かに、妖精族と比べれば人族は老人と言えどそれ程長く生きたわけじゃないかもしれない。お姫さんも若く見えるけど、本当は百歳超えてるんだろ? それじゃあ、老人も子どもみたいなもんだよな」
 ルカが言い終わるのとほぼ同時に、イーメルが立ち上がった。
 おもむろに、右手の掌をルカに向ける。
 風を切るような音がルカの耳に聞こえた。
 次の瞬間、ルカは後ろの壁に背中を叩き付けていた。
 突然の事に、無防備に背中を強打したルカは咳き込んだ。
「わらわら妖精族がこうやって力を使って魔族を倒さなんだら、一体誰があやつらを退治する? 人族は魔族に皆喰われて、それで終わりじゃ」
 目に見えない、妖精族特有の力。力が強く巨大な魔族と対抗するには、妖精族のこの力が不可欠。
「人族と妖精族は決して対等ではない。わらわらの力で人族は生かされているのじゃ。人族が妖精族の為に尽力するのは当然のことであろう」
 違う。
 ルカはそろそろと立ち上がった。
 人族は守られるだけの存在ではないはずだ。
「お姫さん達が人族を扱使い続けるなら、人族は魔族に喰われるよりも辛い生活を送らなければならない」
 イーメルの目が、ルカの頭の先からつま先まで見た。
 しかし、そのまま踵を返してしまう。
「ちょっと待てよ。お姫さん、あんたはこんなとこに居るから知らないだろうけど、地方じゃ人族の反乱が起こってるんだ」
 出口へ向かっていたイーメルの歩みが止まった。
 ルカを振り向く。
「そなたは、他人の話ばかりするのだな。そなた自身はどうしたいのじゃ」
 イーメルは静かに言った。
「俺は……」
 服の上から、首から提げた小さなナイフに触れる。
 許さない。俺の町を滅ぼしたあのエルフを。
 ルカの町を滅ぼした軍隊を率いていたエルフを見つけ、町の人たちの仇を討ちたい。それが、ルカの願いだ。
 しかしそれを今言ってはいけないことくらい、ルカには分かっている。
「俺は、姉を探しているんだ。そうだ、お姫さん、もし心当たりがあったら教えてくれ。名前はユディトと言って――」
「わらわにそなたの姉探しをしている暇はない。人族がどうの、妖精族がどうのと言っておきながら、そなたがやりたいことは姉探しか。つまらん」
 イーメルは薄く笑って、そのまま部屋から出て行った。
 侍女達もイーメルの後を追うように部屋から出る。代わりに、兵士が一人入ってきた。
「セイロンの家まで案内する。付いて来い」
 今度は縄を引かれるわけではないが、常に高圧的な妖精族の態度には辟易する。まだ町に来たばかりのルカの為に、城から自宅まで送ってくれるというのは親切なのだが、城へ向かう時と同じように晒し者になっているような気がした。

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