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2.魔族来襲

 ルカは帰路についた。
 今日は馬には全く触っていないが、馬屋全体についている臭いがルカにもうつっている気がした。ルカ自身の鼻は莫迦になってしまって、自分では判断が付かないのだ。
 馬屋からルカが暮らすことになったセイロンの仕事場までは一刻ほど掛かる。途中は緑が生い茂った畑と、まだ何も植えていない茶色い地面が見えた畑とが交互に並んでいた。
 何も植えていない畑では、その広場を利用して人族の子ども達が遊んでいた。
 それに混ざって、子ども達よりも頭二つ三つ分背の高い大人も一人居る。最初は子どもの母親の誰かかと思っていたが、道を歩いて近付く内に、妖精族の女性だと分かった。
 妖精族が何でこんなとこで人族のガキと遊んでんだ?
 疑問に思いつつもさらに進むと、やがて顔もはっきりと見えてきた。
 お姫さんじゃねえか。
 夕日の色を反射して赤く見える白い髪、金銀で作られた首飾りや腕輪などの装身具。質の良い長いスカートは裾が泥で汚れてしまっていた。
「お姉ちゃん、またねー」
 子ども達が口々と言って、イーメルに手を振っている。
 子どもの母親と思われる人族が、地面に顔を擦り付けているんじゃないかと思うほど深く、イーメルに向かって頭を下げていた。
 それから、子どもの手を取り、イーメルに背中を向けるのが失礼だと思ったのか、後ずさりながら去って行った。他の子ども達はそれぞれ好きなように走って帰って行く。
 子ども達の背中に向かって手を振っていたイーメルが、暫くして手を振るのをやめ、ルカが居る畦道に歩いてきた。
「お姫さん」
 声を掛ける。
 イーメルが顔を上げた。
「なんじゃ、ルカ。居たのか」
「いや、通りかかっただけで。てか、何してたんだ?」
「子ども達と遊んでいた」
 見たままだ。
 イーメルがルカから視線をそらし、軽く溜息を吐いた。子ども達と遊んでいる間は楽しそうに見えたのだが、どうしたのだろう。
 いやそもそも、妖精族の姫が人族の子どもと遊んでいていいのだろうか。
「子どもの元気について行けなくなったのか?」
 ルカが言うと、イーメルがルカを見て声高に言った。
「何を言うか。わらわはまだそれ程年を取っているわけではない。だいたいわらわは妖精族だぞ? あれしきで疲れることがあるものか」
「じゃあさっきの溜息は何だ?」
 ルカが言うと、イーメルの表情が曇った。
「母親が、酷く怖けておってな。まるで魔族でも見たかのような顔で近付いて来て、わらわが『イーメル』だと知ると、地面に額を擦り付けて謝るのじゃ」
 イーメルが歩き出す。
 ルカもそれの後を付いて歩いた。
「なぜ謝るのか、わらわは知っておる。王が人族を恐怖で支配しているから、人族は何があってもとりあえず最初に謝るのじゃ」
「恐怖で支配?」
 裁判の後の厳重注意の時にイーメルは、妖精族が魔族を倒すことで人族を守っている、というようなことを言っていた。その話と、今のイーメルの話はかなり違う。
「そなたはまだこの国に入ったばかりだったな。例えばそなたは、自分が死ぬのと、自分の家族が死ぬのと、どちらが良い?」
 問われて、ルカは小さな短剣を服の上から握り締めた。家族のことを言われると、嫌でも思い出す。
「王への反逆を企てた者が居たら、その者を一番最後に、家族から一人ずつ処刑していく。一人殺して、その者が心を入れ替えたならよし、そのつもりがなければ次の一人を殺す。そうしたことは噂になり、人族の耳にも届く」
 イーメルがルカを振り返った。
 夕日を背にしていて、イーメルの表情は見えない。
「地方では人族の反乱が起きていると言ったな。このカザートではそのようなことはあり得ぬ。人族はわらわらを必要以上に恐れる」
「人族から嫌われるのが嫌なのか?」
 イーメルからその答えはなかった。けれどそういうことなのだろう。人族を奴隷として扱っているくせに、イーメルはその奴隷から嫌われるのが不服らしい。
「でも、子ども達はお姫さんを嫌ってなんかなかっただろ?」
 別にさっきの子ども達のことをルカが知っているわけではないが、遊んでいる様子を遠目に眺めていた限りでは、少なくともイーメルと遊ぶことを楽しんでいるようだった。
「わらわの記憶は欠けておるのじゃ」
 今までの話とまるで関係のなさそうなことを、イーメルが言い始めた。
「必要の無い記憶だから思い出さないのだと、わらわの専属医は言うのだが、どうしても引っかかって。二十年近くもの間の記憶がごっそりと抜け落ちているのじゃ。しかも母が亡くなったのもその期間だというのに、それを必要の無い記憶だと言う医者の言うことも信じられぬ」
 医者が言う通りだとすると、母親の死が、イーメルにとって思い出さない方が良い程衝撃的な物だった、と考えられる。
 しかし、それでは二十年もの間の記憶が無い理由にはならないだろう。
「確かに、二十年っていうと長いよな」
「そうであろ?」
 ルカの同意を得て、イーメルの瞳が輝く。
「人族の子ども達と遊んでいると、何か思い出せる気がするのじゃ。だから、そなたも協力せよ」
「へ?」
「わらわはあのように、へこへこされるのは好かぬ。だから、夕刻になったらそなたが子ども達をそれぞれの家まで送り届けるのだ。そうすれば、わらわは人族の親に会わずに済む」
 これでもかと言うほどの笑顔で言われて、ルカは一瞬思考が停止した。
 その後に、大量の思考が押し寄せる。
 その笑顔はなんだ? そんなに妙案だと思ったのか? 人族の親に会うのがそこまで嫌なもんか? てかなんで俺がそんなことやらなきゃならないんだ? つうか、こいつ妖精族の姫なんだよな? 遊んでていいのか? いや姫だから遊んでていいのか。いやいや遊んでていいわけないよな?
「お姫さんは、仕事とかないの?」
「ある。王が不在の時は王の代わりもするし、普段から会計もしておる。だがそれがどうかしたか?」
「いや、別に……」
 馬屋の仕事の後に余計な仕事を増やされることの怒りを表そうとしたが、その前に話の順序を間違えたらしい。ルカは許諾の意思を示すしかなくなった。
 

 帰ってから、セイロンにルカは聞いた。
「なあ、ここの王様の奥さんって、いつ死んだんだ?」
「ヴォルテス王の? だったら、カザートができる前の話でしょ。確か、二十五年前のことだよ」
 セイロンが机に向かったまま答える。
「うん、確かに二十五年前だ」
 手元にあった巻物状の物を広げて、セイロンが言った。
 イーメルが失っている記憶は、二十五年前かその前後の物らしい。
 俺すら生まれてないし。
 ルカは思った。
 イーメルは人族の子どもと遊んでいたら思い出せる気がすると言っていたが、当時子どもだった人族は、今は立派な大人になっていることだろう。
「それ、見てるのって年表?」
 セイロンが机に置いた巻物を指して言う。
「うん。そうらしいよ」
 『らしい』って……。
 ルカはそれを手に取って広げた。それ程長いわけでもない。文字は読めないが、目立つように色を変えている部分が、恐らくカザートが建国された年なのだろうとは思う。それより下は数行しかなく、それより上に数十行あった。
「なあ、セイロン。俺でも文字読めるようになるかな」
 これには色々なことが載っていそうだ。しかし知りたいことがある度に、セイロンに尋ねるのも気が引ける。
「うん」
 言いながら、セイロンがルカに分厚い紙の束を渡した。
「これで勉強しなよ。僕、ルカは肉体労働派だと思ってたから、嬉しいよ」
 笑顔で言われる。
 確かに俺は肉体労働派だよ。
 そこまで本格的に勉強したかったわけではないのだが、大量の教科書(?)を渡されたルカは、渋々とそれを自分の枕元に積み上げた。

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