道行く人が地図を指差しながら尋ねる。
『ここはどの辺りですか?』
『ここはテリグラン−テリですよ』
母が答えると、『ありがとう』と言って旅人は歩いて行った。
妖精族も人族も同じに暮らす山間の町。言葉はカザート、名前はシアラード。
だから『ユディト』は異国風な名前だってセイロンが言ったんだ。
テリグラン−テリ。西の山の西。
ルカは残っていた米をかき込んで、寝室に戻ると地図を広げた。
なぜ覚えていなかったのだろう。いや、テリグラン-テリという言葉を、ルカは自分が住む町の名前だとは思っていなかった。実際に、それは街の名前ではなく、単に『西の山の西』という表現に過ぎなかったはずだ。だが言語が違うカザートでは、それを地名と勘違いして、テリグラン料理などという妙な言い方をされているのだろう。
地図にはラグナダス地方と書き込んであるだけで、テリグランという名前はどこにも無い。ラグナダスという言葉は、西でも山でもないから、テリグランをカザートの言葉に訳したわけではない。
年表とヴォルテス王の活躍の記録を広げる。
ヴォルテス王、つまりイレイヤ公が征服に直接関わった町なら必ず載っているはずだ。
「あった」
声に出す。
『テリグラン−テリの反乱を鎮圧』
カザート建国の一年前のことだ。この年には他にも数多の武勇伝があるが、一応年代も合っている。
でも反乱を鎮圧ってどういうことだ?
イレイヤ公の軍は突然現れて破壊して行った。それ以前に反乱など無かったはずだ。
くそっ。やっぱセイロンに聞くしかないか。
あまり頼ってばかりなのもどうかと思うが、ここまで判明したのだ。ここで引っ掛かりたくはなかった。
「テリグラン−テリの反乱?」
セイロンが首を傾げながら言う。
「僕が生まれる前だよね。なんかいっぱいあったからなぁ。その年は。うーんと、これかな」
セイロンが巻物を一つ出してきた。
「テリグラン−テリでイレイヤ公の娘が、侵攻に抵抗していた住民達に捕まったんだ」
「お姫さ……イーメルが?」
「イーメル姫とは書いてないけど、娘って言ったらそうだろうね」
お姫さん、テリグラン−テリに居たことがあったのか。そしたら会ったこともあったのかもな。
「あれ?」
イーメルは母親が死んだ前後の記憶二十年分が無いと言っていた。イーメルの母が死んだのが二十五年前。テリグラン−テリが滅んだのが十六年前。その差は九年だ。イーメルの失った記憶の中に、テリグラン−テリでのことも含まれるのかもしれない。
「どうしたの?」
セイロンが声を掛ける。
ルカは手を振って、返事は返さなかった。
今考えを中断させたくない。引っ掛かるのだ。
町の人は皆殺しにされた。ルカと姉ユディトは生き残っていた。だが姉は居なくなった。
いやその前だ。
俺と姉ちゃんは生き残った。姉ちゃんは俺に、あれがイレイヤ公の軍だと教えてくれた。なんで姉ちゃんがそんなこと知ってたんだ? 教えてくれたのは本当に俺の姉ちゃんだったのか?
「何で……」
幼い自分の手を引く姉の顔が、イーメルに思えてきた。
記憶の中のその声までも、イーメルの声だ。
姉ちゃんだと思っていたひとがイーメルだった。あの時のショックで間違えた? そんなわけない。そりゃ今は顔忘れちまってるけど、当時はちゃんと覚えてたんだ。じゃあ、最初からイーメルが俺の姉ちゃんだったってこと……なのか?
頭がぐらぐらした。
イーメルはルカと違い純粋な妖精族だ。だから、姉なわけがない。
いや、そうじゃない。母さんの連れ子だったら、純エルフでも問題は無い。でも、だからと言って。
二十年近くの記憶がイーメルには無い。ルカが生まれる前からそこに居て、十六年前に連れ戻されるまでのテリグラン−テリで過ごした全ての記憶が無いのだとしたら。
人族の子どもと遊べば何かを思い出せそうだと言っていた。
ああそうだ。姉ちゃんはよく俺や友達と一緒に遊んでくれた。でも遊びはいつも鬼ごっこだった。
「なあセイロン、イーメルが実はヴォルテス王の子じゃないって可能性はあるのか?」
「は? いやそれは僕には分かんないよ。でもテリグラン−テリの反乱の時にわざわざ連れ戻してるんだから、本当の娘なんだと思うよ。他人だったらほっとくだろ」
「ああ。そうだよな」
落ち着け、俺。まだイーメルが姉ちゃんだと決まったわけじゃない。イーメルがあの時テリグラン−テリに居たと言っても、その前からずっと居たとはどこにも書いてないんだ。
「ルカ、大丈夫?」
セイロンが話しかけてきた。
「ねえ、テリグラン−テリがどうかしたの? もしかして、そこがルカの故郷?」
セイロンを見る。疑問系にはしているが、セイロンの笑顔は、ルカが故郷の名を思い出したことを確信して喜んでいると思われた。
「ああ」
「良かったね、ルカ。これでお姉さん探しも対象を絞れるよ」
満面の笑みで言われて、ルカは笑顔を返した。
もしかしたらイーメルがユディトなのかもしれない。それをセイロンに言っても信じてもらえるとは思えなかった。自分自身も半信半疑なのだ。
首に下げた小さなナイフを鞘ごと取り出して見つめる。
ユディトが記憶を失っていたとしても確認する方法はある。このナイフの柄頭の鳥模様。これと左右逆の模様が入った指輪を持っていれば、イーメルがユディトだということだ。 |