3.道程
4 翌日、仕事を早く上がらせてくれとサルムに相談したが、つい先日も同じように頼んだばかりで、聞き入れて貰えなかった。 |
家に帰ってから、ルカはずっと考えていた。 イーメル本人は、自分はユディトではないと言っていた。だが彼女には二十年近くの失われた記憶があり、その間ユディトとして生活していたがそれを忘れてしまっているという可能性は大いにある。 カザートの公式記録には、イーメルがいつ頃からテリグラン−テリに居たのかまでは書いていない。しかし、テリグラン−テリが反乱を起こしてイーメルを攫ったのであれば、イーメルは反乱と同時期にテリグラン−テリに来たと考えるのが妥当だろう。 あくまでも、カザートの公式記録を鵜呑みにして、テリグラン−テリが反乱を起こしたのを事実と仮定すれば、の話だ。 だが、おそらく反乱は事実ではない。いくらルカが当時幼かったと言え、国の代表の娘を攫ってまで起こそうとした反乱が実際に起こっていたなら、少しくらいは印象に残っているはずだ。しかし、ルカにはそんな記憶は無い。記憶にあるのは、ごく普通に暮らしていた町が、何の前触れもなしにイレイヤ公の軍隊によって壊滅させられた、ということ。 反乱は事実ではないが、イーメルが居たのは事実だろう。 幼いルカに、町を襲ったのがイレイヤ公だと教えてくれたのは、イーメルだったのだろう。最初は曖昧だった記憶も、今でははっきりしてきた。あの時、自分の側に居たのはイーメルで間違いない。 そして、自分はずっと、それを教えてくれたひとを姉だと思っていたのも間違いないのだ。 記憶違いの可能性もまだ捨てきれないけど、今の所は、イーメルがユディトだったとして、それで辻褄が合うか考えてみよう。 ルカは思う。 ルカはハーフエルフだが、イーメルは純エルフである。ルカの母が妖精族だったのだから、イーメルの母親がイレイヤ公と別れて、ルカの父と結婚したと考えられる。 でも、そうなるとイーメルの母親が二十五年前に死んだってのと合わないんだよな。 公式の記録では、イレイヤの妻つまりイーメルの母は二十五年前に亡くなっている。ルカが二十五歳以上なら計算も合うが、残念ながら二十二歳だ。 いや、二十五年前に死んだってのがイーメルの実母じゃなければ辻褄は合うのか。 イーメルの母はイレイヤ公と別れて父と結婚した。イレイヤ公は新たな妻を娶ったが、その妻は二十五年前に亡くなった。それならば何の問題もない。 イーメルがユディトではない可能性は、もちろんある。イーメルの態度を見る限りでは、むしろその可能性の方が高いかもしれない。 だが、その可能性について考える気にはなれなかった。 イレイヤ公は娘を取り戻すことを口実にテリグラン−テリに攻め入ったのだから、イーメルさえ居なければ町は滅ぼされずに済んだ、ということになる。逆に言えば、イーメルが居たせいで、町は滅んだということだ。 それでは困るのだ。仇討ちの相手として、ヴォルテス王の他にイーメルも加えなければならなくなる。仇討ちは崇高な物だ。自分の感情次第で、仇がころころ変わる物ではないはずだ。 だが姉ならば、大目に見ることもできる。血の繋がり。家族の絆。理由はどうでも、誰もが納得するようにつけられる。 あの指輪は姉ちゃんの物で間違いない。 銀色の指輪をはめたイーメルの手を思い出す。 あんなに細いのに、柔らかくてすべすべしてた。 指輪のことを考えようとしていたのに、指の方を思い出してしまった。 手を取った瞬間の、イーメルの表情もはっきりと思い出せる。あれは、弟と手を繋ぐ時の姉の表情ではないだろう。困惑で眉根をわずかに寄せ、その瞳はルカの顔を映していた。もちろん、イーメルはルカを弟などとは欠片も思っていない。 あれ? だったら俺、イーメルに何て思われてるんだ? 人族なのに、妖精族を姉だと言う。 唯の奴隷の一人か、もしかして変人だと思われてる? 奴隷はともかく、変人だと思われるのだけは勘弁して欲しい。明日会ったらもう少し話そう、そう思いながらルカは眠りについた。 |