4.恐れ
人目を避けるように裏通りを通って、ルカ達は城の近くの大きな建物に入った。煌びやかな装飾が目を引く。この奥には妖精族の女神を祭った神殿があるのだとエルフの男が言った。 ということは、ここは祭儀場。王の結婚式をする場所だ。多くの招待客達がうろうろしていて、彼らに食事を出すために人族の奴隷も多く居る。ルカが妖精族に付いて歩いていても、誰も不審には思わないだろう。 多くのひとが居る広間を抜けると、先程までの喧騒が嘘のように静かになった。 広間を出てすぐ近くの衛兵が居る扉を男が開ける。ルカを先に部屋に入れると、男は扉を閉じた。 「ここで待て」 部屋の中には椅子がいくつか乱雑に置かれている。部屋の隅にはたくさんの机と椅子が重ねて置いてあった。倉庫のような物だろうか。だが床には広間と同じ赤い絨毯が敷き詰められているし、天井には豪華な室内灯がぶら下がっていた。 男が部屋から出て衛兵に何か指示をしたようだった。男はすぐに戻ってきて、入ってすぐのところに立った。 暫くして、静かに床を擦る服の音が近づいてきた。王ならば他に兵士を幾人も連れ歩いているはずだが、それはひとりだった。 扉が開き、入ってきたのはイーメルだった。 銀色の髪を結い上げ、輝く宝石を散りばめた髪飾りをしている。服も、普段でも相当良い物を着ているのだが、今日の服はさらに豪華だった。肩にかけている厚手の布にも、普段とは違う装飾が施されている。 今日は一段と綺麗だ。 ルカを案内してきたエルフが居なければ、ルカはイーメルに言っていたかもしれない。しかしひと前で言うのはさすがに気が引けた。これだけ美しいと冗談にもならない。 「ルカ、今日はそなたに、ヴォルテス王と会ってもらう。だが父には、わらわが手引きしたことは伝えるな」 言われて、頷く。イーメルがルカと王を会わせようとしている理由は分からないが、会わせることが良いことだとは、客観的に見て考えられないのだ。 「その前にわらわが来たのは、そなたに警告するためじゃ」 イーメルがルカに近づく。 入り口近くで待機していた男が少し動いた。王女に何かあったらすぐにでも飛び出そうというのだろう。 そう言えば、あの男は以前ルカが城に連行された時にもイーメルの側に居た。あの時も、イーメルが人払いをして随分心配していたようだ。今も、この部屋にはその男とイーメル、そしてルカの三人しか居ない。男からすればルカは怪しい人族そのものだ。 イーメルがルカの胸に手を触れた。 少しずつ上下に動かす。 何をしてるんだ? 声が出なかった。イーメルが考えていることが分からない。警告するために来たと言っていた。何のことだろう。 「ふむ」 イーメルが呟いて、それからルカの首に掛かっている金属の鎖を思い切り引っ張った。 鎖が千切れて、イーメルの手の中に鎖に繋がったナイフが入った。 「このようなもの、どうする気じゃ?」 これを探してたのか。 ルカが凶器を持ってきたかどうか。 にしても、思いっきり引っ張らなくてもいいじゃないか。 千切れてしまった鎖。安物とは言え、ルカが手に入れるのは大変だった。ついでに、首の後ろが鎖で擦れて痛い。 「それは、その、護身用に……」 イーメルがナイフを鞘から出して見ていたが、ルカに付き返した。 「このようなもの、わらわらには傷一つ付けることができぬ。と言ってもそなたは納得せぬであろうから、そなたにその気があるのなら試してみるが良い。わらわでも、そこにいるオーヴィアでも」 「遠慮しとく」 ルカの狙いは王だけだ。イーメルの自信がどこから来るのかは分からないが、余計なことをしてここで捕まるつもりはなかった。 「では、そなたの思うようにせよ」 言って、イーメルが踵を返した。 オーヴィアはイーメルが部屋から出るまで見送ると、自分も退席した。 |
なんだ? まるでお姫さんは、俺に王を攻撃させたいみたいだ。 ひとり部屋に残ったルカはナイフを手の中に握って考えていた。イーメルの真意が掴めない。こんな小さなナイフでは何もできないと高をくくっているのだろうか。そもそもなぜ、王と会わせようとするのだろうか。 沢山の足音が部屋に近づいてきた。 仰々しく扉が開かれ、妖精族の男が入ってきた。 イレイヤ公――! 幼い頃に遠目に見ただけの男だが、その風貌は忘れはしない。目の真下から縦に入った右頬の傷。あの時はそこから血を流していた。 人族にない力を使って戦うことが多い妖精族は筋力を必要とせず、ほとんどが華奢だが、イレイヤ公は違った。がっしりした体躯は、それだけで威圧感がある。 王は既に普通の妖精族であれば寿命を迎えている年齢だというのに、まだ若若しかった。 「そなたか。わしに会いたがっている人族とは」 王になったイレイヤ公が、ルカを見下ろして言った。 感動とは違う。だがそれに近い感情がルカの中を渦巻く。 早くこの男を殺したい。 それは感動ではないが、喜びには違いなかった。殺せばルカは開放されるに違いない。仇を討たねばならないという、自分自身に課した責務から。 ずっと自分を見下してきた妖精族より、上に行ける。 不意に浮かぶ、別の思考。 違う。そうじゃない。 仇討ち以外の思考を追い払おうとする。 「そなたを見ると、十六年前を思い出す」 ヴォルテス王は言った。 「わしが現在のラグナダスを攻める際に、そなたによく似たハーフエルフの少年がおった」 ラグナダス地方にはルカの故郷テリグラン−テリも含まれる。王が言う少年とは、ルカ本人のことだった。 「よく、十六年も前のことを覚えておいでですね」 ヴォルテス王は笑った。 「そなたら人族にとっての十六年は長いであろうが、わしらにとってはそなたらの一、二カ月前と同じような感覚じゃ。ふん、もっとも、あの時見たハーフエルフはエルフの顔をしておったがな」 「王よ、なぜその時その少年を殺さなかったのですか? 王はその町の住人を全て殺したのでしょうに、なぜその少年だけ」 そう、あのとき俺も死んでれば良かった。そうすれば、仇討ちなんかに縛られずに済んだ。 ルカは左の袖の中に隠していたナイフの柄を右手で掴んだ。 「わしにも多少の慈悲心というものがある」 王が答えた。 慈悲心だと? あんたは俺を追い込んだ。それのどこが慈悲だというんだ。 「慈悲ではなく、甘さだった。王よ、町の皆の仇!」 ルカはナイフで王に切りかかった。 従者たちが王を守ろうとしたが、王はそれを止めた。 「そなたらの剣では、わしを傷つけることはできぬ」 王が言った。 その言葉の通りに、ルカは王を傷つけることができなかった。 剣を王に近づけただけで、剣がどろどろと溶けてしまったのだ。 剣は元の形をとどめていなかった。 お姫さんの言う通りだ。 ルカは王の従者に押さえ込まれた。 「そなたのような者も、この国にはようおるわ。だがわしに手を上げたのはそなたが初めてじゃ。勇気ある愚か者よ」 王はそのまま去って行った。 くそっ。 口の中で呟いて、ルカは自分を押さえ込んでいるエルフを見た。 人族から見れば、妖精族は皆同じ顔をしていると言う。種族によって目や髪の色が違うが、同じ種族だと人の目ではほとんど見分けられないのだそうだ。 だが、ルカはきちんと見分けることができた。妖精独特の美意識も、ルカには理解できた。 しかし、それでも、ルカは妖精族ではないという。 妖精族はルカを奴隷として扱い、今も、家畜を引っ張るように、ルカの手に鋼の枷をつけて引っ張っていく。 「本来ならば、最低五年の服役は免れないのだが、今日は目出度き日、大目に見るということだ。命拾いしたな、小僧」 ルカの手枷を外してエルフの男が言った。 王を殺そうとした者の刑期が最低五年とは短い気がするが、それだけ、王は誰からも殺されないという自信があるということだろうか。 「王にお伝え願いたい。いつか必ず町の皆の仇を討つ、と」 「考えておこう」 エルフの男は、ばかにしたような目をルカに向け言った。 |
辺りではきらびやかに飾り立てられた物、建物や車やエルフ、が王の再婚を祝って楽しげな音を立てていた。 形が変わってしまった形見のナイフをよく見ると、刃だけでなく、柄まで変形してしまっていた。柄頭の、イーメルが持つ指輪と左右逆の鳥の模様も、もう何がそこにあったのか分からない状態だった。 俺は何をしてるんだ。 両親の大事な形見を壊して、仇討ちにも失敗した。もう祭儀場に入る機会は無いだろうし、王の警護もさらに厳重になることだろう。 つうか、こんな力があるんなら先に教えてくれよな、お姫さん。 確かにイーメルは警告してくれたが、もう少し具体的に教えてくれればよかったのに、と思う。 まあ、言われても信じなかっただろうけど。 イーメルも言った。どうせ納得しないだろうと。その通りだ。仮に剣を溶かす力があると言われても、にわかには信じられないことだ。結局同じことをしていただろう。 ナイフを外套の内側に縫い付けられている小物入れに入れようとして、ルカはそこに別の物が入っているのに気付いた。来る時にはここにナイフを入れていたのだから、ルカの知らない物だ。 取り出してみると、それは金色の飾り櫛だった。櫛を彩る小花模様には花びら一枚一枚に宝石が埋め込まれている。 さっきお姫さんが入れたのか。 その豪華さといい、妖精族の貴族でもそうそうは手に入るものではないと思われた。 広い道に出ると、セイロンが言った通り沢山の店が出ていた。 ここは祭儀場の広間以上に騒がしい。 「まさか王様が再婚なさるなんてね」 エルフ女性の声が聞こえてきた。 「ええ。私は先にイーメル王女が結婚なさるものとばかり思ってましたのに」 こんな騒がしい中でも、集中すれば聞き取れる。これは妖精族の能力だ。他の生き物も持つ何でもない能力だが、人族よりは優れている。 そうだ。お姫さん……姉ちゃんかもしれないんだ。 仇討ちは失敗したが、それだけでも確認したかった。 しかし、今さっき祭儀場から追い出されたばかりだ。イーメルが居る祭儀場へ入れるとは思えなかった。 今はまだ無理だ。でも今夜には。 このひとの多さ。昼間はパレードと披露宴だろうから、肝心の式は夜になると考えられた。そうなれば、多くの兵士が王の警護に当たる。式までは娘であるイーメルも出席するだろうが、その後は王と王妃が誓いの間で一夜を過ごす。ルカの知識と相違なければ、の話だが。その間、イーメルの警護は比較的手薄になるはずだった。 問題は、イーメルがどこに寝泊りするかだ。式が行われる祭儀場は城の近くなのだから、城に戻る可能性もある。だが城は造り自体が堅固だから、潜入は難しいだろう。 誓いの間の近くまで同行するとすれば、また話は別だ。 もっとも、誓いの間がカザートのどこに設置されているのかは、ルカは知らない。結婚する二人で共に歩むのが重要とかで、式場から離れていることが多いのだが。 妖精族なら知ってるか? 辺りを見回す。元々人族に比べて数の少ない妖精族だ。人族の波に隠れてしまってよく分からない。 露店に目をやる。 大体こういう店は、正規の手続きを得て出店しているわけではない。もちろん、正規の店もあるのだろうが、それに混ざってあくどい店が幅を利かせるのが常だ。 店の裏側から来た男と会話する店主が見えた。会話の内容まではさすがに聞き取れない。二人の表情から、近場に店を出した店主同士の会話とは思えなかった。明らかに、裏家業の表情だ。昔別の国で関わったことがあるから知っている。 彼らは自分の仕事に一定の誇りを持っているが、最も尊いのは金だと言うのが彼らの言い分だった。組織を牛耳る妖精族にとっては金は大事だったろうが、奴隷である人族は金を大量に持っていても使い道がない。だがゼロでは生活できない。それに顔を変えるのには金が必要だった。 嫌なこと思い出した。 ルカは溜息を吐いて一度通りから外れ、ひとが来なさそうな路地へ入った。ターバンを外して肩に掛けると、ルカは眼帯を左側にずらした。薄暗い路地だったが、眩しさに目を細める。ターバンを深く巻きなおし、耳も隠れるようにした。 妖精族特有の、大きな吊り上った目。詳しく調べればルカがハーフエルフであることはすぐにバレるだろうが、ちょっと見たくらいでは区別が付かないはずだ。 ルカはごく普通に、先程の店主の所へ歩いて行った。 表から、出している商品を眺める。この目なら、手術で交換した人族の目よりもよく見える。地面に敷いた布の上に置いてある商品の、小さな値札に書いてある値段も見えた。これでも、純粋な妖精族に比べると視力は弱い方だ。 「お、旦那、なかなかの目利きだね」 店主がルカに気付いて言う。 「今旦那が見てるそれ、なんとイーメル姫が使ってる物と同じ腕輪だよ」 別にルカは商品を見ていたわけではないから、どの腕輪のことだか分からなかった。 店主が足元の箱から腕輪を取り出してルカに見せる。それが展示してあるものと同じものかは怪しいものだ。 「何が姫と同じだ。姫はこんなもの持ってない」 適当に言ってみる。実際に見たことはないが、持っているかどうかまでは知らない。 「おや、旦那お詳しいですね。さては姫の親衛隊ですな? それも隊長クラスと見た」 褒めているつもりだろうか? そんなものの隊長と言われても嬉しくない。 ただ、この男はルカを妖精族だと思い込んでいる。それが分かれば十分だった。 「そっちへ行くぞ」 「えっ、いやあの、裏側は整頓されておりませんので」 店主が慌てて言う。見られたくないものを隠しているのだろうが、それこそ好都合だ。 店と言っても結局は露店。店の周りを壁で囲ってあるわけでもないから、隣の露店との間を通って裏へ回った。 「なあ店主、ヴォルテス王の姫君が、今夜どこに泊まるのか知らないか?」 小声で単刀直入に聞く。他人に聞かれることを恐れて暈して言っていたら、相手にも伝わらない可能性がある。この雑踏の中、わざわざ露天の店主と客との会話に耳を澄ますものは居ないはずだ。 「姫君って、イーメル姫のことですかい? わたしらみたいな一般市民にはちょいと……」 イーメルがルカの懐に忍ばせた櫛を取り出して店主に見せる。 「おお、これは良いものだ。いやね、わたしも知らないわけじゃないんですが」 店主の言うことが全然違うのは、ルカを金持ちだと思ったからだ。あわよくば、この金の櫛を情報料として頂こうと頭が働いたのだろう。ルカの思った通りだ。 「今夜王様方はサーマ・ニーチェで過ごす。姫はその近くの王の別荘に居るはずだ」 「場所は?」 「ここから南へずっと行けばいい。サーマ・ニーチェは名前の通り月見用の施設だからな、周りに何もない砂漠の手前だ」 ルカは店主に、セイロンに持たされた銀貨を渡した。 「ありがとう」 店主が銀貨が本物かどうか確認している。 「またのお越しを」 店主が顔を上げて言った。 イーメルの居場所は触れ回るほどの物ではないが、隠すほどの物でもないはずだ。その情報料は銀貨一枚でも多すぎるくらいだが、口止め料も入っている。勿体無いが、仕方なかった。 ルカの後ろから、パレードの先頭と思われる楽隊の音が聞こえてきた。それに気付いたひとたちが、ルカと逆の方向へ向かって我先にと走り出している。 楽しげな音色と人々の歓喜の声は、ルカにとっては仇討ちに失敗したことへの嘲りにしか聞こえなかった。 |