7.竜の剣 2
辺りはすっかり暗くなっていた。 ソルバーユが閉じ込められている馬屋の周りをうろつく足音が、時折聞こえている。ソルバーユが繋がれている正面に、ゼルスイスが居た。 ゼルスイスの方は、捕らえられる時に反抗して自分でつけたのか、それともジージルド達にやられたのか、額と頬から血を流していた。 「ゼルスイス」 足音が聞こえなくなったのを確認してから、話しかける。 ゼルスイスが顔を上げて、ソルバーユを見た。 「なんだ? ここから脱出する方法でも思いついたか? 全く、反乱を考えるだけのことはあって、乱暴者揃いだな。妖精族に対する礼儀がなってない」 「なるほど、その怪我は人族にやられたか」 ソルバーユが言うと、ゼルスイスは顔を顰めた。 「他人事みたいに言うな。あんたにうまい話があるって言われたから、私は乗ったんだ」 馬屋の入り口の方で足音が聞こえて、ゼルスイスは体を強張らせ、そちらに顔を向けた。 見た目には顔に傷を負っているだけだが、それ以外にも傷があるようだ。格下だと思っていた人族から殴られて、精神的にも弱っているのかもしれない。 「ここから出る方法を教えてやろう」 ソルバーユは言った。 入り口を見つめていたゼルスイスが、ソルバーユに向き直る。 外を歩いていた足音は、今はまた聞こえなくなっていた。 「これを使え」 白い錠剤を、ゼルスイスの足元に投げた。 「それは体を一時的に仮死状態にする物だ。回復薬を打つか、一日も経てば意識を取り戻す。貴方が気を失ったら、私が大声を上げて誰かを呼ぶ。私が人族にも感染する病だと言うから、人族は貴方を運び出すだろう。そうすれば貴方は外へ出られる」 「あ、あんた、縄解いたのか?」 「いや」 ソルバーユが唇の端を上げる。 「だから、悪いが、口で直接拾って飲んでくれ」 暗いから見えないが、実際には馬屋の床だし、相当汚れていることだろう。ゼルスイスはあからさまに嫌そうに顔を歪めた。 「仮死状態になって外へ出られたとして、そのまま埋葬されるなんてのはごめんだぞ」 「人族が、恨みのある妖精族を丁寧に埋葬してくれると思うか? どうせそこら辺に放置されるだけだ」 「そうか。急いでここから出て、王に報告したいからな。仕方ない」 ゼルスイスが足元に転がる白い錠剤を口に含み、飲み込んだ。 すぐに白目を剥き、息が止まったようだった。口の端から唾液が泡状になって零れだす。 完全な死体だ。 二度と生き返ることはない。 これで、私は完全な犯罪者だ。 後は、ルカがソルバーユを裏切り者として処罰してくれれば、それでソルバーユの仕事は終わる。裏切り者として処罰されなければ、妖精族を殺した犯罪者として死ぬことになるが、それはソルバーユの望む所ではなかった。 朝になって、様子を見に来た見張りの男が、ゼルスイスの遺体を発見した。 「何で死んでるんだ」 ソルバーユを見て聞く。 まだソルバーユを医者だと思っているから。一緒に居たのは彼だから。 「自殺したよ」 何の感情も込めずに言う。 男が他の仲間を呼び、辺りは騒然となった。
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ネルヴァが報告を受けて馬屋に駆けつけたのは、普通ならば朝食を始める頃のことだった。 ゼルスイスが自殺したと聞き、ネルヴァは腕組みした。 もう逃れられないと思っての自殺か? 確かに、昨日ネルヴァが連れてきた時、怒ったジージルド達に手酷くやられていたようだったが、だからと言って、自殺を考える程の事でもないと思う。こちらに情報を漏らさない為の自殺ならまだ分かるが、ゼルスイスは昨日の時点で既に、ソルバーユと金銭のやり取りがあったことを告白している。 「ルカ」 ソルバーユ達を捕らえていた馬屋の方からルカが来たのを見つけ、ネルヴァは声を掛けた。 「ああ、おはよう、ネルヴァ」 ルカが言う。 「ゼルスイスが自殺したそうだな。私は今着いたところで、まだ見ていないのだが」 「ああ。俺は見てきた。外傷もないし、おそらく毒物を使った自殺だろうな」 「毒? まさか……」 毒も薬も同じ物だ。どうしても医者であるソルバーユを思い浮かべてしまう。 ルカは首を横に振った。 「ソルバーユは薬や毒物は持っていなかったし、第一、二人とも縄を掛けられたままだった」 「そうか」 「それよりも。……昨夜二人の会話を聞いた。ソルバーユが裏切っていたのは間違いない」 ルカが言う。 「ジージルド達は、ソルバーユを処刑した方が良いと言っている。見せしめだと。あんたはどう考えている」 「処刑というのは、具体的には?」 敵に伝わる前に発見したのだ。裏切りには罰を与えなければならないとは思うが、あまり重い罰を与えても仕方がない、とネルヴァは考えていた。 ルカが溜息を吐いてネルヴァを見た。 「死刑だ」 「なんだと……? ソルバーユには聞いたのか? ゼルスイスが言ったことが真実とは限らない――」 「昨日聞いた。今日も聞いた。でも、ソルバーユは否定しない。俺達の情報を敵に流していたと、ソルバーユ自身が言っている」 ルカの表情は暗い。ソルバーユを信じていたのだから当然だ。いや、今も信じているのだろう。ソルバーユは裏切っていない、と。ネルヴァも同じ意見だ。 だが、本人が罪を認めているというのは一体? もし自分が裏切ったとしたら、人族に敵の妖精族と会うところを目撃されるような間違いは犯さない。仮に見付かったとして、敵の方が吐いたとしても、自分は知らないとしらを切り通す。もしくは、人族に捕まる前に逃げる。 賢明なソルバーユが、裏切るなど考えられない。そして、もし裏切るのなら、もっとうまくやるはずだ。 「私も現場へ行ってみる」 ネルヴァが言うと、ルカが頷いた。 ルカは残るようで、ネルヴァひとりで、ソルバーユを捕らえている馬屋に向かった。 ゼルスイスの遺体を運び出しているところだったので、ネルヴァも遺体を確認したが、外傷は全くなかった。 ゼルスイスをネルヴァが捕らえた時、ここへ連れてくるにあたって、持ち物を全て調べた。服もネルヴァが用意した物に着替えさせた。ゼルスイスが毒物を持っていたとは思えない。 馬屋に入る。 中にはソルバーユがひとり、柱に縄で繋がれ、馬を入れる柵の中に居た。 「話はルカから大体聞いたつもりだ。ゼルスイスは毒を使って自殺した、ということで間違いないか?」 「調べたわけではないから、毒かどうかは分からないがね。だが、両手を後ろに縛られている状況では、他に死ぬ方法などないだろう」 「じゃあ、どうやって毒を飲んだんだ。両手が塞がっているのに」 「歯に仕込んでおくのだ。ゼルスイスのように他国に密偵として派遣される者には、よくあることだ」 確かに、連れてくる時に口の中までは調べなかった。それが悔やまれる。 「君は、ゼルスイスの死因を知る為に私に会いに来たのか?」 ソルバーユが言った。 「ソルバーユ殿の無実を証明できるのは、ゼルスイスだけだったろう」 ネルヴァが言うと、ソルバーユが笑った。 「まだ私を信じてくれているとは、ありがたいことだ。だが残念ながら、私が裏切ったのは事実だ」 「なぜ? 私はあなたに誘われた。他の仲間もほとんどがあなたを信じて集まったのだ。反乱を止めたいのであれば、元から人を集めなければ良かったではないか」 「まったく。君はルカと同じだね。私が善人でないと困るらしい。だが君はルカよりも賢明だろうから、本当のことを話そう」 ソルバーユの言葉に、ネルヴァは驚いた。 やはり、裏切りは事実ではなかったのか? だが、ルカには教えず、私に教えるというのは一体。 「私の懺悔だと思って聞いてくれればいいよ。ルカを反乱のリーダーに仕立てたは良いが、今の皆はまだ不安を抱えている。ルカも、他の人族も、君もね。誰かが裏切るかもしれない。妖精族が強くて反乱が失敗するかもしれない、と」 ソルバーユが目を閉じる。 「だが、こちらには竜の剣がある」 ネルヴァを見た。 ソルバーユが言いふらしていた、妖精族を倒す為にルカが手に入れた物というのは竜の剣のことだったのか。 「しかし、あれは伝説の話だ。真実ではない」 「そう言うと思ったよ。そうだ。あの剣が手元にあるというだけでは、まだ不安が残る。ルカが持ち帰った剣は偽物かもしれない。そもそも伝説は作り話かもしれない」 そこまで聞いて、ネルヴァは得心した。 ソルバーユは二つの不安を、自分が裏切ることで解消しようとしているのだ。裏切りに対する見せしめとして、ソルバーユを死刑にする。そうすれば、裏切りは暫くの間は発生しにくい状況になる。発覚すれば殺されるからだ。 その上、妖精族を殺すのに使うのはルカが持っている竜の剣。その剣が、金属で出来た普通の剣と異なり、妖精族を死に至らしめることができるのであれば、人族はルカが持つ力を知り、より活気付く。 「そういうことなら、私がやったのに。あなたは医者だ。皆から必要とされている」 柵の向こうのソルバーユは、ネルヴァの言葉を聞いて薄く笑った。 「私が居なくても大丈夫だ。トキメに全て教えてある。それに君には無理だ。君は優しいから、作戦の内だと分かっていても仲間を裏切れない」 裏切ったふりをするのでは足りない。実際に裏切らなくては、死刑にされる可能性が低くなる、ということだろう。 「それに」 ソルバーユが続けた。 「私はもう一つ罪を犯した。ゼルスイスを殺した」 言うソルバーユの低い声と、睨み付けるような目に、ネルヴァは寒気を感じた。 それは、ソルバーユがゼルスイスを巻き込んだせいで自殺に追いやった、という意味ではない、ということを暗示している。 「逃げられて、敵に報告されるとやっかいだからね。私は、ルカの為になら、自分が死ぬことも、自分の手を汚すことはなんとも思わない」 「なぜ、そこまで」 「ルカは私の孫だからね。まあ、だからこそ、ゼルスイスは自殺したことにしておかないといけない。ルカは傷つきやすいから」 「だったら、あなたが裏切ったということも、ルカを傷つけると分かっているでしょう? 私に先に言ってくれれば、その役は私がやったのに」 ルカがソルバーユの孫であるなら、ルカは人族ではなく、半妖精族ということ。だが、それについて話すつもりは、今はなかった。 「だから、君には無理だと言っただろう。お膳立てはしておいた。後は君に任せるよ。私を斬首台に送ってくれ」 ソルバーユが言う。 ソルバーユの気持ちは揺らぐことはないだろう。一度決めたことは変えない。そんな男だから、多くの仲間が集まったのだ。 「分かった。あなたの意思は私が継ごう」 ネルヴァは決意し、馬屋を後にした。
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