エッセイと言うか、作文と言うのか、思いついた時に。


2004/05/08(Sat)  ふるさとの事
ゴールデンウイークに弟と弟の子供、つまり甥っ子たちと旅をした。
ひと月ほど前に弟から「5月のはじめに松之山に行かない?」
の誘いがあっての事。

みんなの都合にあわせたため、弟たちは先行しており、
わたしが合流した日に甥と姪は帰京しなければ、と云ったスケジュールとなり
正しくは一緒に旅をしたとは言えないが
まだなごり雪もある山奥の緑の色って、一体いくつあるの?と
数えたくなるような春の日に、春を摘み、春を食べ
実に楽しい思いをした。

二人とも大学生になっており、子供のときのように
まつわりついてくる可愛さはない。
いっぱしの口をきく。
だが子供のいないわたしは(2浪したり、留年したりしている子供たちですが)
立派になったなァと思う。
そして、ただそれだけの事でも
「三人の子供たちを、こんなに立派に育てた弟夫婦はエライ!」と
感動してしまう。

今回の旅は叔母や従兄弟や、その従兄弟の子供たちに会おう
というのがキッカケの旅だったが、
もうひとつの目的として、父のお墓からの分骨をお願いする事だった。

2年前に亡くなった母の遺骨が、この夏戻ってくるので弟が、東京にもお墓を構えたい
と言いだしたためである。(母のからだは「献体」してあったため、
任務終了して戻るのがこの夏になった)

母のお墓は「早くに死に別れた母親のそばに埋めて」と言う母の気持ちを汲み、
何年もまえに、兄の計らいで
母の故郷・愛媛県広見町に作ってあったのだが、
いざとなったら弟は、東京にもと言い出したのだ。

そして、母ひとりでは寂しいだろうから、父のお骨も一緒にという。
それで実現するのだが、
ナント59年ぶりに、父と母はお墓の中で再会をする。

どんな顔をして逢うのかな?
わたしが4つの時に死に別れた父の顔は、いまも若い。
88才まで生きていた母の顔は・・・
困るのかなァ、なんてバカなことも思う。

生きることに忙しく、ほとんど足を運ばずにいた父の故郷、松之山
松之山はわたしにとってもふるさと?と、いつも考えていた。
(父を早く失ったため自分に故郷は無いようにも考えていた)

この文の題も、ひらがなで書きはじめているのだが
”あったかく”迎えてくれた父の故郷の叔母さんや従兄弟、いとこのお嫁さんの
親切な心ずかいの中で
’故郷’でも’ふるさと’でも良いンじゃない?
という気分にしてもらって帰京した。

ふるさとは、あったかかった。
うん、そうなの。
そして、新しいモノもある、また訪れたい場所となった。

(松之山温泉だけが”売り”だと思っていたのは間違いだった。”美人林”と言う名の、ぶなの自然林とか「キョロロ」と言う名の森の学校については、いずれ又)




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