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五所先生から京子という’お女郎さん’の役をいただきましたが、40年近く過ぎた現在でも、映像の現場で、必ず思い返す言葉を戴きました。 それは「俳優さんの仕事は ”機嫌よく待つこと” これが、一番大切なことです」
でした。
10才の子役さんを呼ぶ時にも、君ずけでなく「○○さん、こうしてください」と、
温厚な話し方をなされる先生でした。(先生が亡くなられて23年。お命日の5月1
日は五所亭忌。毎年、霊南坂上の澄泉寺に先生を慕う人が集い語り合う。新参加の二
十代の人が増えたりするので、芸術作品、映画の力のスゴサを再認識する日ともな
る) |
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1970年4月に行われた劇団東京小劇場の公演パンフレットにお寄せいただいた文
章をご紹介させて頂きます。 |
草村さんのこと 映画監督 五所平之助 |
鏡に映った私の顔のそのうしろにもう一つ微笑んでいる顔のぞいている。
愛くるしい眼をみはっているなつかしそうなその顔が草村礼子さんである。
草村さん派手なスターではないし、まだまだ勉強と精進の途上にある人だが、これか
らが愉しめる芸の持ち主で、私の勝手気ままが言える数少ない女優さんです。
私が草村さんを知ったのは「恐山の女」の撮影の時である。
小柄な目立たない俳優なのに私をたちまちひきつける不思議な魅力を漂はせていた。
私の好きな庶民性を身体一ぱいにみなぎらせて、親近感がじわじわと沁み出してせ
まってくる。
華やかに自分を見せびらかせようとしない、つつましさみて一そう好きになった。
「母ちゃんと十一人の子供」「女と味噌汁」私が仕事をするたびに必ず出演して貰っ
ている。
ザンネンなことにはまだ草村さんに力いっぱいの仕事が出来る機会を持てなかったこ
とである。
草村さんは私への手紙の中で「この役は私でなくっちゃーと言う役を自分の劇団の中
で早くつかまえたい」そして「今までと異なって映画やテレビの仕事にも自分から進
んでいきたいと思っています」と所信を語っている。
身体をぶっつけて本当の自分をさらけだす、愉しみのもてる役者のすくなくなってい
く現在、自分を大切にいたわって一歩一歩のしっかりした草村礼子の足跡をつけてい
かれる事をのぞみたい。
芸の道は険しく長く、芸の道はひろびろとした旅路である事を忘れないで。 |
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