** 旅から旅 '06年11月 絵日記 ** |
暮れにあった都立国立高校の同窓会で、定年後の生活の話が出た時に
『これからもマダ、仕事が出来るンだから、草村の仕事は好いよなあ。』と
皆から羨ましがらましたが【順調に仕事が与えてもらえる現在】が、ありがたいです。
また 劇団時代の旅公演以上にハードな旅を、やり遂げられた体力にも感謝しています。
前回の旅の絵日記がご好評だった(?!)ので・・・その気になって編集開始! ふふ。
出来ればオモシロ日記としてまとめ、11月中の旅の感想と写真を、お目にかけたいの。
・・・イヤイヤちょっと、図に乗っっている部分もあるかもの、絵日記デ〜ス。 | |
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俳優の仕事は天候にも左右されるし、沢山の俳優さんを組み合わせるために、
出演シーンの多少に拘わらずに長い拘束となる場合もあるの。
わたし達の仕事は、皆さまが思うほどには楽チンではないんですよ。ふふ。
月初めの米沢行きから始まって、水海道への4往復もあって撮影したのは
橋爪功さん主演の「ドクター小石の事件簿3 毒薬」
サービス精神の豊かな橋爪功さん・鶴田忍さんの周囲には笑い声が絶えないの。
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(⌒ー⌒) 米沢ロケの宿泊は小野川温泉でしたが、あそこのラジウム鉱泉は効き目絶大!
温泉が大好きです。特に大浴場で入る温泉が好き。温泉は、ひとを幸せにしますよね。 |
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ご一緒だった三姉妹の【神保美喜さん・仁藤優子さん・濱田万葉さん】は、
以前にましてキレイになったし、わたしも心なしかキレイに! あはは。
『小野小町も入浴し、効能を絶賛したと云うだけあるなあ!』と思いました!
でもね、丸二日いた米沢ロケでは、わたしの台詞は無し<ゼロ>だったの。ふふ。 |
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水海道での撮影では、ロケに拝借した豪邸は、現在市の文化財として公開されて居ますが、
元の持ち主だったお宅の奥様↑のようなバラをいただいたの。 (⌒ー⌒) 嬉しかった 。
↑左の黄色の花は品種改良された現代バラ。ピンクの芍薬みたいなのが元々のバラ。
家で活けなおした<籠一杯>の薔薇の香りが<家一杯><胸いっぱい>に広がった!
ご自身で育てた珍しい品種の沢山の満開の花はどれも香り高い薔薇で、好いオミヤゲで
次の仕事の合間にも、散った花びらをお皿にのせて(⌒ー⌒) <残り香>を楽しんだの。
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昔ながらの香り高い薔薇の花たちに癒されてぐっすり眠った次の日に
ふたつの衣装合わせがあった。
午前中の『恋路物語』の衣裳は、監督さんの考えとも、わたしのイメージとも違い
現地で再考となってしまう。<自主映画の常・、限られた予算>は承知していても、
【役の印象の大半は衣裳と髪型によって決まる】と、思うわたしには不安なスタート。
デモ、気を取り直し、午後は名古屋で『 キッパリ!』の衣装合わせを、キッチリ! |
(↑白髪の色味や、髪型も、衣裳合わせの時に監督さんと相談してきめます。) |
名古屋での仕事はCBC〜TBSの『 キッパリ!』 わたしが初めて参加した日は、
販売用の新築住宅展示場がロケセット。ロケセットというのは、ホンモノを撮影時だけ
拝借する・借り物ですから、壁や床などに傷を付けないように、丁寧に時間を掛けて
撮影します。ふふ。見えないトコロでの苦労話も、ケッコーあるでしょ?ふふ。
そんな訳で、このチームでの初日はゆったりとした撮影で無事終了で、ほっ。
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水俣での仕事・その扮装 |
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衣装合わせでは、ひとつも決まらなかったのが心配だったので、・・・・・と言うか
根が、貧乏劇団の出身者でもあるわたしは、頼まれないのに、使えそうな古着を
自前で持ち込むことを決意して、名古屋から戻るすぐに押入れをかき回したの。
(水俣行きの鞄に詰めた自前で、ちょこっとだけど使ってもらった衣裳は、コレ↓)
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水俣での仕事・その成り立ち |
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『恋路物語』は行政主催による<水俣の好いトコロを、アピールする映画>創りです
ふふ。市ですけど・・・・町興しのための計画かと思います。
町の人々が『 水俣って、こんな好いトコロもあるんですよ〜!』って、伝えたいと
思っているのが、ひしひしと伝わってくるの。
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(↑遥か昔の思い出を重ねて島を見詰めるばあちゃん・フミが孫のミキに手紙を託し
物語がすすむのですが、恋路島は水俣湾にある実在の島で、物語はフィクション。) |
コンクリートで護岸工事をして、汚染された海岸をきれいに戻し、人々は普通の暮らしに
戻っていても<昔の辛く悲しいイメージ>は、四十年以上過ぎても払拭できていない。
日本全国の人々に、アピールしたいんだなあ、って熱い思いが直に伝わってくるの。
普通の仕事とは異なる大変なコトもありましたが、楽しさも沢山ありました。ふふ。
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(↓わたしのお隣は水俣市長さん。授賞式のパーティで。)
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作品の応援者宅で、市長さんとも膝を交えて語り合うチャンスがあり、市が計上した
この映画の総予算は×百万円と伺って、ギョギョ!っと、跳びあがりました。あはは。
県外の人の心の中にある昔の水俣を払拭し、現在と未来の水俣を見てもらえる映画
を創りたいと、シナリオを一般募集し、入賞作品を元に作品を創る。
この企画に乗った國澤真理子さん↓が、シナリオを担当されました。 |
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原作の「ばあちゃんの恋」という話が、國澤さんのシナリオでは、祖母からの
【あて先の住所が判らない手紙】の配達を頼まれた孫娘とボーイフレンドの話に!
『祖母の恋を成就させたい』と奮闘する中で育まれた、淡い恋の物語になりました。
授賞式と製作発表のパ−ティは盛大でした。この作品を何とか盛り上げよう!と
集まった手弁当の皆さんの、手作りのお料理も差し入れの焼酎も美味しかった! |
前列左に、主演の谷村美月さんと松澤傑くん。二列目中央が、菅野宏彰監督
花束をお持ちの方が入選者。(左)が原作「ばあちゃんの恋」の関戸幸子さん。
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水俣での仕事・多くの助っ人 |
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☆ 予算の不足分を埋めようとしてるのでしょうか、市役所の職員さんを先頭にして
ボランティア参加の町の人たちが 慣れない作業やエキストラ出演に必死になって
取り組み、手伝っておられる姿は、感動的でした。(朝昼夜、毎回の食事がお弁当
という過酷さではありましたが、ボランティアさんが毎回温かい味噌汁と漬物を用意し
お給仕までしてくださったので、乗り越えることが出来ました!あはは。) |
↑オーデションにパスして出演した学生さんのご家族も参加して、にぎやかに。 |
※ 因みに、このページに飾ってある、デキの好い写真は
【ボランティアのスチールカメラマン・水俣の山本達雄さん】の撮影によるものデス。
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(デキの悪い写真は、わたし。マネージャーの Hくんのもあるかな?あはは。) |
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水俣での仕事・わたしの家族 |
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孫のミキちゃんとの場面が中心で、息子や嫁とのシーンも殆どナシなの。 |
孫『恋路物語』でのわたし・沢崎フミの家族をご紹介します。左から嫁・弥生の
藤崎世璃子さん 孫・ミキの谷村美月さん 息子康平・渡辺いっけいさん。
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普通の映画とは異なる公開の作品なので、出演者をこの場でこ紹介したい
のですが・・・・・・、残念ながら、無し! |
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水俣での仕事・わたし流の捉え方 |
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『恋路物語』の主人公は、高校生ミキで谷村美月さんが演じ、BFのユウヤを
松澤傑さん。渡辺いっけいさんと藤崎世璃子さんが両親、わたしは祖母・フミ。
フミは普通に喋れるけれど、若い時から耳が不自由な人物、との設定です。
初恋の人に、ひと言侘びを言いたいと考えた祖母から【手紙】を託されたミキは
<ばあちゃんの初恋の人の住まい探し>をユウヤと始め、淡い恋も・・・・・。
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わたしは何時も、役柄とか役創りを考える前に、先ず【作品での役割】を考えます。
今回のわたしの役割りは観客に【この物語がフィクションではなく、本当にあった話】
と、感じて貰うための【大事な役割り】が与えられていると捉えて撮影に臨みました。
(恋路島の見える水俣公園で↑。扮装とメイクはこんな感じにしました。)
だが、撮影が始まる前のリハーサル中に『 もう少し、若返って』とのダメだし。
<老け過ぎではなく、演技過多なのか>と、↓長いこと立ち尽くし、悩みました! |
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↑これを見て思い出した<わたしの 作品への参加の仕方>を、お聞きください。
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わたしは物語を、祖母から【自分では届けられない手紙を託された孫の恋の物語】と
捉えたの。
自由に歩けたら、耳が不自由でも大切な人への大事な手紙は、自分で届けるハズ。
普通に歩ける祖母を造形したら<この物語は支えられない>と考えた訳です。
=フミは足許が悪い=【 覚つかない足取りで、ほとほと 歩こう】と決めたのですが
『少し老けすぎています。若返って普通に歩いてみて』との指示で、動けなくなって
かなり考え込んだのですが、若返ってみました。↓ |
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このドラマは、加齢のために自由な歩行の出来ない祖母の願いを叶えるために
孫娘が一生懸命になる可愛らしい姿に、観客は共感し涙を誘うし感動するハズ!
かなり気負った言い方に 聞こえるかもしれませんが<作品全体の中での役割り>
とでも云うのかしら、作品における<演じる役が占めるべきポジション>も考慮して
演じるべき役があると思います。今回の役がそれだと思い、監督さんと話し合い
<立ち姿と歩き方は老けて、喋り方は若々しくする>ことになったのですが・・・・・。
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ふふ。 紙の無い時はこんなコトも。 耳の不自由な祖母への言葉掛けは 筆談。 |
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☆今でも、監督さんの<老けすぎ>とのダメだし=<演技過多>との意味か?
【 思い過ごしのポジション取りだったのかしら? 】と・・・・・・考えています。
3月に完成試写があるそうですが、この心配が笑い話になるよう 祈っていま〜す。
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水俣での仕事・これからのお仕事 |
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さあて、間もなく編集が終わり、完成試写会も行われて、一般公開となります。
自主制作の作品だ小規模だ、と言ってもこんなふうに↓沢山の人が参加して
<<日本全国の人に、素敵な水俣をお知らせする映画>>が、完成します。 |
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さあて、これからが・・・・・水俣の皆さんのお仕事で〜す。
わたし達の仕事の完結は・・・・・・・そうです。作品をお客さまにご覧頂く事。
あれこれと書き立てましたが、すべて『恋路物語』を広めたいからなのよ。
一人でも多くの人に・皆さまに見て頂きたいから、話のタネに、と思ったの。
今回は有料の映画のように、大々的な広告は出来ません。クチコミが頼り! |
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最も頼りになりそうな<応援買って連>の人たちを、すでに見つけました!
わたしの衣裳などでもお世話になった松山さんを始めとする↑この人たち。
大きな声で言いま〜す。『 応援買って連の皆さま〜! どうか、よろしく〜!』
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↑ロケを終えて 『 皆さま、おあとは ヨロシク! 』って、気持のわたし。ふふ。 |
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先ずは、水俣市役所にある{恋路物語のHP}ごらんくださいね。 |
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水俣での仕事・ふふ。仕事の合間に |
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水俣での宿は湯の児温泉の<昇陽館>からは↓左の景色を独り占めに。
右の写真は、向こうに写っている島まで出かけて行って宿を写したもの。 |
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上手でない風景写真ほど、詰まんないモノはない!と、思っていましたが
宿から見える好い景色を『皆さまにもお見せしたいなあ』とデジカメを手に
撮影が夕方からの日に、出かけて撮ってきたから、愛着があるわ。ふふ。
南国らしく、11月なのにブーゲンビリアが、色鮮やかな咲いてました。 |
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『棕櫚も、こんなに↑大きくなるものなのね』と独り言を云いながら島に渡る。
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潮が満ちると渡れなくなる島だったから、つい最近、脇に橋を作つたとか。
日ごろは便利さを享受して生活をしてるのに、『勿体ないなあ〜』と思う。
短い滞在時間なのに、その小さな島・亀島では旅気分を満喫しました。 |
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紅く輝く落ち葉を何枚も拾い、この時間だけの輝きは宝石のようだと見惚れ
母との旅を思い出したり、亀サンのかんざしにしたりして、遊びました。
どちらかと言うと現在でも男性が優遇されている九州なのに、昇陽館は
女性客を優遇しているからなのでしょうか、最上階にある女性用露天風呂は
いつもは一杯らしいのですが、誰にも会わないのを好いコトにして、
真っ昼間の仕事の空き時間に何回も、入りに行ったの。
昇陽館の露天風呂・殊に4階にある女性専用の露天風呂は最高でした!
ふふ。ここからの景色↓も是非お見せしたかったので、またデジカメを持参。 |
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好い眺め・・・・・・・正に 『 極楽・ごくらく』 でした!あはは。
上の写真を撮って、ひょいと脇を見たら、湯船の岩にわたしの影絵。 |
↑これだけで止めれば好いのに、ついつい↓のも。あはは。
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エスカレートして、もっとあるのですが・・・・・パソコンの華ちゃん先生も
『 コレ以上は〜 』って言うので・・・・ふふ。残念ながらカット! あはは。 |
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水俣〜東京〜島根〜東京〜名古屋〜東京 |
この辺りが『何ダ、そりゃ〜?!』って聞かれそうな、移動ではありました。
16日に撮りこぼしがあっても、次の17日は島根での講演会に行く予定。
(⌒ー⌒) 移動がこんなにもハードな旅は、キット最初で最後ネ。ふふ。
水俣チームの航空チケットは、変更が出来ないので一旦帰京して、翌朝
また羽田から出雲へ行くのは承知していたけれど、最終便で熊本〜羽田。
『 寝る時間が少ないのよね〜時間が勿体ないなあ』とボヤきそうになって
『<キケン・キケン!>こういう日こそ ガンバだわ!』と、口にチャック。
自分を励ましマネージャーと別れた。あはは。
次の朝、かねて用意の別の旅行鞄を持って、羽田から出雲に飛びました。
<白髪頭のお婆さんの役>で呼ばれているドラマの撮影に必要な物と
オシャレをしたい場合では、鞄に詰めるものが、まったく異なるンですヨ。
・・・・因みに、この11月は三つの鞄を使い分けたの。あはは。
島根での仕事は、久しぶりのライブなので、楽しみにしていました。
島根県商工会議所の、女性部400名による年に一度の総会の講師です!
<パリパりの現役女性が400名>その前で、気合負けしないように!と
メークアップも丁寧にして出掛けましたが、温かな拍手で迎えられ
話にも、明るい笑い声で対応してもらえたので、無事に終了。 ほっ。
何より嬉しいオミヤゲは 『次回は、一人芝居でお呼びしたいです!』の
ひと言でした。 『このひと言で、また一年頑張れま〜す。ありがとう!』
今回は、90分間の講演で、タイトルは 『あったかく生きる』
【日常会話の 言葉・会話の持つ力の大きさ】見直していただくために
わたしの考え方や、生き方まで変えた<一人芝居の仕方話>なども交え
一人芝居と、そこで出会った人々とのエピソードを、お話しています。
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ふふ。終了後の、会長・副会長さん達との交流会は、迫力がありました!
実は、話の中で『冷え性を克服するために、夏でも冷たい飲み物は避けて
います。でもお酒だけは、冷やが好きなの。』と、ぽろっと本音を漏らしてた。
その所為か皆さまが、日本酒を付き合ってくださったのですが・・・・・・ふふ。
飲みっぷりが見事なの! 正に、天下一品! 呑み助を自認するわたしも
目を見張り 『今後は、このように飲みたいもんだ!』って! あはは。
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打ち上げの翌日は、わたしの友人の園山土筆さんが主宰する劇団を訪問。
(劇場隣の郷土館で園山土筆さんと。中央は島根商工会の婦人部長さん。)
殆どが、働きながら演劇を続けている人々によって構成されているのですが
八雲村の助成を得て、立派な常打ちの劇場を持っているユニークな劇団です
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【神在り月なので、八百万=ヤオヨロズの神サマがお集まりの出雲大社】にも
帰る前に、案内↑していただいたので、心をこめて<世界平和>を祈りました。
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商工会の女性部を牽引する人・その事務局の人・演劇の道を歩き続けてる人
仕事は異なっても、働く女・ここにあり!って感じの写真↑に見ほれ?ながら
この後の、名古屋への<「キッパリ!」撮影のための二往復の旅の話>は
【撮影現場での奮闘記】にゆずり、このオモシロ旅日記の幕を降ろしマ〜ス。 |
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