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ここまで足を伸ばしてくださって、ありがと。(⌒ー⌒)。聞いてもらいたい・
見ていただきたい自慢の写真や話を並べました。(最上段が新しい記事)
『TV・映画』『くらし』『舞台・ライブ』『旅・ダンス』『新聞・雑誌』『はてな?』
各コーナーの目次をご参照の上、ごゆっくりなさってネ!ふふ。(⌒ー⌒)。

歩き遍路を始めました
2007.12.06
母のお墓は宇和島にある。東京に墓地を用意した母が「皆が墓参りに来てくれなくても良い。
やっぱり母親の傍に埋めて欲しい」と言ったので希望を叶えたが、やはり遠い。
縁者も少なくなった。年に一度は兄と弟と一緒にお参りしていたが、七回忌なので今年は
甥や姪にも声を掛け、札幌や名古屋からの姪や甥・兄・わたしと相棒・弟が龍泉寺に集う。
母のための花と果物と言いつつ、自分の好きな薄ピンクの桔梗や黄色い小菊を選び
母の故郷で2007年9月29日、和やかに七回忌の法要をすませた。そのあとで
しみじみと『少なくとも13回忌までは、元気でいたいモンだね〜』と。ふふ。


『歩き遍路を始めるの』と告げたら姪っ子たちも『帰る前に自分達も見学する』と言うので
翌日(9/30)宇和島にある41番札所『龍光寺』と、43番札所『佛木寺』に、車で参拝。


↑左から二哲(甥)・怜(弟)・ひろとし(我が相棒)・誠(甥)・清香(姪)・春和(兄)
札幌から来る甥は、金曜日の夜に羽田まで移動して一泊すれば法要に間に合う。
姪の往路は名古屋空港にして、帰路はセントレア空港にすると、送迎車は一台!
旅の日程は、楽しい旅を紡ぐための、楽しい苦労となりました。ふふ。(⌒ー⌒)。
皆がわたしの休暇スケジュールに合わせてくれたのでわたしも大奮闘!
休日が二日間しか取れない甥や姪のフライト選びも、好い思い出。(⌒ー⌒)。
遍路

(バックの花=のうぜんかずら)
母が健在だった頃に、車でいくつかのお寺にお参りした経験以外は、何も知らないのに
『七回忌の後に、歩き遍路を始めようか』と誘ったら、弟と我が相棒が同行すると言う。
あはは。四国八十八ヶ所のお寺を廻るきるために、まず、装束をそろえました。
性格的に『一回コッキリでは勿体ない』と、頑張るだろうと予測しての決断なのっ!
同行二人

(弘法大師とふたり連れ=同行二人)
背中に「南無大師遍照金剛」と書いてある白衣と、金剛杖・菅笠やお経の本と、写経帳。
皆さんは白衣の上に、輪袈裟をかけていますが、わたしは母の形見の数珠を持参。
胸元の横一文字の手拭いは、リュックサックを安定させるための工夫で〜す。あはは。

参拝の印し41-42
参拝の印し49
参拝の印し50-51
参拝の印し52-53
参拝の印し54-55
『えっへん。付け焼刃ながら、ご説明を申し上げま〜す。』うふふ。
白いページが全て墨書で埋まった【納経帳】は、あの世に旅立つ日に、枕の下に敷く。
納経すると、奉納・本尊名・寺名を墨書して、宝印・寺印を押していただく、納経帳↑
各札所のこの<参拝の印し>は、実に見事でしょ。 (1ヶ寺300円を納めます)
お寺から頂くお札

(お寺から頂くお札)
↑右上は、納め札=お経を唱える時に<何処ソコの誰が来た>を書いて納めるの。
初めての巡礼者はローソクやお線香に火を灯すのも遅くて皆に追い越されるの。
三人並んで張り切ってお経を読み始めても、隣に他の参拝客が来ると恥ずかしくて
声が小さくなってしまうのも、情けなかったなア。


全行程は、およそ1400キロ。一ヶ寺の参拝時間を短縮するために弟からの提案は
『次回は各寺二枚の写経×廻る予定数を用意してこよう!』
果たして、わたし達三人は、全てを歩き遍路で巡拝できるのでしょうか?!

今回の旅では、ちいさい秋も・大きい秋も堪能しました。<.td>
小さい秋大きい秋
↑左は51番札所『石手寺』の宝物殿の脇で見つけた、小さな秋。
(枯葉の上にドングリ。中央にあるのは、皮を剥いた銀杏。右の3つが皮付き銀杏よ。)
↑右のお〜きい秋は、美味かった! ふふ。母の法要をした龍泉寺の住職の
奥さんから、いただいた大きな栗は、歩き遍路の初日の宿で茹でてもらって
『お遍路さんひと休みしてください』の立て札のあるベンチで頬ばりました!
又、ある町では『お遍路さんひと休みしてください』と呼び止められて小休止。
淹れたてのコーヒーとお菓子と、皆さんの笑顔をご接待されました。(⌒ー⌒)。

55番札所『南光寺』山門前で
↑55番札所『南光寺』山門前で弟と。歩き遍路の最終日なので、格好はついた(?)けれど
ここに到着する前日の、53番札『「円明寺」〜54番札所『延命寺』の道中で事件発生(?!)
我が相棒の足指からの出血(靴紐の結び方がゆるくて、長い下り坂で爪が剥がれた)を、
休憩中に発見して菊間駅からJRに乗る事に。(↓菊間〜今治のJR車中のふたり)
菊間〜今治のJR車中のふたり大わたしの足
『ダンスで鍛えているからわたしは平気よ。歩き遍路なのに残念だわねえ』と強がって
二人を冷やかしていたものの、わたしの足も、実際はこんな風↑だったのっ!あはは。

覚悟していた以上に歩き遍路は大変でした! デモ、嬉しいオミヤゲも一杯でした!
新米30キロの袋↓は、心にもズッシリ! 田圃に感謝しながらのスナップも・・・。
新米30キロの袋圃に感謝
たった三日の旅でしたが、各寺で真剣に経を唱え、手を合わせ沢山たくさん祈りました。
各札所のご本尊さまの前ではモチロン、母に似た石仏を見つけた時も合掌し祈りました。
『ご利益ばかり求めるな』と指南されてもいたのに、今思い出すと笑ってしまう程沢山の
お願いをしました。真っ先に、亡き母の安らかな眠りを祈り、<好きな人が出来たという
姪っこ・清香の幸せ>を祈り、兄と弟・そしてその家族の健康を祈って合掌した。
今回の歩き遍路では、煩悩のかたまりようなわたしが、何故か自分の健康や仕事の
コトを最後に祈っていたのは、ナンとも不思議な出来事ではありました!あはは。

いつ、この続きの旅にでるのか? 歩き遍路を続ける気力と体力は、あるのか・・・・・?
JRに乗ってしまった菊間〜今治は、歩き直すのか? 思案し自問していますが・・・・・。

沢田剛さんの撮影
↑松山の学校の先生で<歩き遍路の写真>を撮り続けておいでの沢田剛さんの撮影。
これを飾って、この旅の話を〆られるのは、望外の喜びです。ふふ。不思議なご縁なの!
戦争の終わる半年前に父を亡くしたわたしと、ほぼ同じ頃に戦争で父上を亡くされたという
沢田剛さんが出逢った。 その不思議に感動しています。合掌。


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