母の故郷・四国への旅に出ました。3度目の歩き遍路は09年1月7日から13日。
旅のメンバーは、昨年の歩き遍路と同じ。わたしと我が人生の相棒と弟です。
|
|
前回の報告の尻尾に、ハードな旅だったけれど、体調がすんなり回復出来たので味を占めたわたし、新年早々にまた出かけました。
|
|
母の形見のお数珠と師匠・野尻俊彦の『芝居をありがとう』のサイン入りの手ぬぐいを襟に巻いて元気に歩き始めました。
四国の各地には↓のような『お遍路さん、お休みください』の看板のある休憩所があります。 |
|
新しいデジカメの試し撮りでもありますが何故か、食べている絵が多い、我が相棒↓
|
|
道中で、食べられそうな物を発見すると(↑のサボテンの実)食べてみせるの。
真っ赤な口元で判るでしょ?赤い果汁は、夜石鹸で洗うまで取れない程。・・・モチロン恐々とではありますが、わたしも味見をしましたふふ。。その赤い真っ赤な実の味・・・・小さな種がいっぱいで、ほんのりした甘さデシタ。
『足のないサボテンは、鳥に食べられて旅をする?子孫が別の場所に行くための色と味なのかしらネ?!』
|
今回も<四国人の優しさ>にふれ、感動しました。
それぞれのリズムがあるので必ずしもくっついて歩かない時があります。田んぼに囲まれた道での話。
・・・・三人の最後尾を歩くわたしの脇で、後ろから来た軽トラックが止まった。振り返ると、お爺さんが窓を開けて『前の人と一緒かい?追いつけるのかい?』と聞く。『大丈夫です』と答えると『じゃこれ、二人で飲みな』と<ご接待の>ドリンクヨーグルトを2つ手渡してくださったのっ。 |
|
先頭の弟は、コーヒーをいただいた、との事。別のチームと思ったのかしらね?
この日のお昼はコンビニで調達したお弁当でしたが、わたしの昼ごはんは↓こんな様子。 |
|
リュックには、暮れに愛媛の友人から送られた(ふふ。四国〜東京を往復した)ミカンも入っていたし、朝食でゲットしたパンとか焼き海苔も。あはは。 |
雪の積もった山道を、コンスタントなスピードで歩くのは難しい。雲辺寺から大興寺までの9.8キロもキツカッタで〜す。
↓それでも『遍路報告、楽しみにしてますよ!』とコメントを寄せてくださった皆さまに <美しい雪景色>を見ていただきたい、と張り切るわたし。 |
|
素人のわたしと相棒が先頭を歩くと、下り坂では早くなるし、登り坂はノロクなってしまう。
これまでの歩きでは、我々のスピードに合わせてくれ、常に<しんがりを勤め>付いて来てくれた弟が、この雪道だけは<先達>になって歩く。そして、黙々と50分程歩くと足を止め『10分だけ休憩しましょう』と言う。
わたし達は、ひたすら彼の歩調にあわせて、ついてゆく。(これはどうやら、この雪道での遭難を避けるための作戦だったらしい。)
・・・・前夜の泯宿で、かなり飲んで同宿者との<遍路談義>に浮かれていたわたしを尻目に山男らしく、天気予報を聞いて状況を把握していたようなのっ!
『今日は雪で助かったよ。雨やみぞれだったら衣類が濡れて、体温が取られちゃうからね。』
・・・何歳になっても弟は年下(ふふ。当たり前?)なので、頼りないと思っていたけど今回は見直しちゃった!あはは。
休憩中にはもぞもぞとポケットをまさぐり、チョコレートとかアーモンド等を<頑張って歩いたご褒美>のように、ちょこっとずつくれる。相棒とわたしは、アリガタク食し、また歩いた。あはは。 |
↑奇跡的な記念写真。 |
こんな日に歩く人は、少ないのでしょう。追い抜く人もすれ違う人もないまま5〜6時間過ぎた時、山を登ってくる人と出合ってシャッターを切ってもらいました。何回目かの歩き遍路で【逆打ち】をしている人だったのでしょうネ。
『折角だから、あの標識の前に立ったらどうですか?』と、わざわざこの場所まで戻ってくださったのっ!こういうさり気ない親切に出会うと、人って元気になれるンですよね。ありがたかったわ〜。
上の写真を見て、噴出して笑ったわたしに、我が相棒は『礼子の背丈に合わせて、かかんだンだ!』と言い張ります。どう見ても、腰がぬけていますよね〜。そう言うわたしもこの後のスナップ↓では・・・・。あはは。どっちもどっちネ。 |
|
↓ココはまだ雪も届かない背の高い木々の下ですが、茶色い枯葉の上に雪が積もり始めると<チョコレートケーキ>みたいになるの。 本当に、美味しそうだったなぁ〜。ふふ。 |
|
でも↑は、本来なら<公にはしにくい>一枚ですよね。ふふ。そうなの男性はマァ何とかなりますが、女性は困るのっ!
『雲辺寺から大興寺までの99.8キロ、何がキツカッタかと言うと、それでしたっ!』
↓疲れきった男性の顔に比べると、大興寺に着いて、ソレから開放されたわたしは、清々しい顔してるでしょ?あはは。 |
|
納経の受付時間には間に合ったので、お参りも出来ました。でも、大興寺での写真はコレ一枚しかない。
日付け(2009.1.10.16:13)を見て、思い出しました。
・・・この先は、内緒にしたい<不名誉なハナシなの>で〜す。ここから宿までの3キロ、ズルをしちゃったのっ。
だって、やっと到着してお参りしている間に、みぞれになってしまったのっ。ドンドン酷くなる空を見上げながら、疲れきっているわたし達の会話・・・とっても気が合いました。
『濡れて風邪でも引いたら大ごとだからねぇ』
『そうよねぇ!!』
『堂守りさん、タクシーは呼べますか?』
・・・・・・と、即決しました、と云うお粗末! あはは。 |
歩く話が主になっても許して頂けるかなと、お話してきましたが一寸長すぎたかしら?・・・・もう少しで終わりますので、ヨ・ロ・シ・ク!あはは。
今回一週間で廻ったのは、11ヶ寺。この↓75番札所・善通寺では、ビックリするほど沢山の参拝者に会いました。 |
|
参拝の手順を説明すると・・・・・寺に着いたらリュックを下ろし、手と口を清める。 |
|
(紫の風呂敷の中身は衣類。これを腰に巻いてリュックの重さを支えたのですが、外すのを忘れてお参りした<悲惨な姿>は展示しませんっ!あはは。)
弘法大師を祀ってある太子堂と、ご本尊のおられる本堂、それぞれの前でローソクを灯し、お線香を供えてから『○○を祈願し、武蔵野の草村礼子が納経します』と書いた遍路札を納め、般若心経を唱え祈ります。
弟と我が相棒は男らしくサッと切り上げるけれど、わたしには祈りたいコトが山ほどあるので、長い!
でも、我ながら不思議に思ったのは、どんなに急いでいても、祈る時にはそれぞれの顔がしっかりと浮んでくるので、しっかりとお願いをしたくなる。『両手を合わせるって、そう云う事なのかしらね?』 |
|
↑豊かなお財布に縁が深いという<毘沙門天尊堂>=甲山寺
今回の遍路では<上記のエッセイにも記した人の前途>を、どこのお寺でも真っ先に祈りましたが、ここでは太い蝋燭にその名前を書いて供えました。『がんば!』の気持ち届くと好いな〜。
自分のためだけにお祈りしたのは↓出釈迦寺の<求聞持大師> |
|
学業=仕事の前進をお願いしたんですが<物忘れにご利益>があるそうなので、お守り札もっ!でも↓の逆立つヘアーは『スデニ職業を忘れている』人のものデスネ。あはは。
通常は<母が、天国で安らかに><結婚したばかりの姪っ子たちの幸せ><早く幸せになって欲しい甥っ子たちの未来>を祈るの。そして<体調が優れない友人の健康>と<自分たちの健康と仕事>と盛りだくさん。今回は、その上に<抱えている心配事まで>を祈るのですもの、もう大変!=どんなに急いでも、優に30〜40分。あはは。 |
|
『今回打ち上げはココ』と決めていた善通寺で『ご本尊の前で、どうぞ!』と声をかけられたのは望外の喜び!嬉しかった。・・・いつもは屋外でお経を唱えるので、つい、浮かれて出口で<招き猫>とのツーショット!あはは。 |
ココで打ち止めと決めた75番札所・善通寺をお参りした後で、昼食。
わき道の<小さなうどん屋さん>で手打ちのうどんを食べながら『新年早々の旅でもあるから、金比羅さんにお参りもしよう!』と、話をしていたら、隣の席にいた年長の男性が『琴平までは6キロ程だけど、歩いたら着くのは夕方になって、間に合わないよ。送ってあげよう。食べ終わったら家においで。』と言い、出て行った。
『どうしよう?』『やっぱり、タクシー呼んだほうが良いんじゃない』と相談するわたし達に、うどん屋のお婆ちゃんは『あの人、キット待ってるから<ご接待>受けなさいよ。』
『じゃ、そうしよう。おいくら?』『1640円』『えっ、三人全部で?』『はい。』・・・・手巻き寿司や、お肉も入った鍋焼きうどんもたべたのに、この値段だったのっ。
・・・・・こんな出逢いがあるから、歩き遍路は止められなくなるのね〜!・・・・旅って好いなあ。
と、琴平迄送ってもらいました。・・・・が、果たして階段は↓こんなに・・・・。ふう。 |
|
金比羅詣で↓は、そんなラッキーと説明するしかない出会いがあって叶いました。 |
|
タクシーを呼んだのとは違って<次回のお遍路は、あの方の住む善通寺からスタートする!>と云う楽しさもいただいて、旅は完結しました!
金比羅参りの後は<琴参閣>(ちょっとゴージャスな、お勧め宿の電話。087-75-0500) 、
ゆったりと温泉に浸かりご馳走を食べてくつろぎました。翌13日、帰りのフライトは午後、高松空港から。その時間調整で琴平町観光。観光(1)は、海科学館。
山の上にある船の操舵室で、舵をとった弟は少年のように上機嫌↓。
|
|
琴平町の観光(2)は、金比羅歌舞伎で有名な<金丸座>↓ |
|
↓は、出を待つ俳優さんの気分で、花道から舞台までをパチリ。 |
|
琴平町観光(3)は<金比羅詣で>をする人が渡っていた木製の屋根つきの橋。 |
|
これは↓何処のお寺の、何の木の根元なのか・・・・わたしには判るのですが<?>と、させていただきます。 |
|
母の7回忌の法要を機にスタートした歩き遍路は、同行二人=弘法大師とふたり連れと云う。わたしは母の故郷・四国への旅に、母にも同行してもらっている、と思ってきました。
そう、母の故郷への思いを胸にして、母のいのちの還元を・・・・。こんな気持ち・・・・・ご理解いただけますか?ふふ。
次回の遍路は何時になるのかは不明ですが、これからも母を同行して<四国の自然に、母の命を託す旅>を続けたいと考えています。 |
『長らくのご静聴、まっこと、ありがとうございました。』ふふ。合掌。 |