2005年11月、沢山の応援をいただきました公演は、無事、11月28日に千秋楽を迎えました。
千秋楽のカーテンコールは1800余名のお客さま全員による、スタンディング・オベイション!!
考えてみたらこれは、長い演劇生活の中での初体験でもありました。
1,800余名ものお客さまが総立ちで、わたし達の芝居に拍手を贈ってくださっている!!
これは、しびれました。『演劇をする人で居て好かったア〜』と、思いました。
再演が積み重なる中で、今回は【21世紀バージョン】と云うことで配役が一新し、わたしも参加させていただきましたが
46名と言う大所帯の出演者すべてが、実に気持ちの好いメンバーで、毎日の舞台をとても楽しく勤める事ができました。
おはこび下さったお客さま・出演された仲間たち・支えて下さったスタッフの皆さまに、大きな声で
『(⌒ー⌒)ありがとうございました(⌒ー⌒)』と、言いたいです。
そして、今回の公演を見損なった人にも、今回出逢った【ミュージカル大好き人間】との、いくつかのエピソードをお話ししたい、と思いました。
※順番は思い出すまま・また【わたしの思い込みアリの ♪こぼれ話】となりますが、お読みくださいね。 |
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お祝い
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大地真央さんのイライザによるマイフェアレディの公演回数が、450回目となったお祝い。
そして、大地真央さんの東宝ミュージカル主演舞台が、2100回目のお祝い。
併せて、上条恒彦さんの東宝ミュージカル出演2200回のお祝い。
今回の、21世紀バージョン公演が無事終了した、千秋楽のお祝い。
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・・・というように、今回の公演は、お祝い行事が続いたのでお相伴しているわたしも嬉しい気持ちで、毎日浮き浮きと舞台に立ち、あっと言う間に終わってしまった1ヶ月でした。
因みに、石井一孝さん・羽場裕一さん・浦井健治さん・春風ひとみさんとわたしの出演回数は37ステージ。
450回のお祝いのセレモニーでは、わたしもひと言オハナシをさせていただきました。
(デモ、しょっぱなから年数を間違えたりして、思うようには言えなかったけれど、こんなコトを話しました)
『15年間という長い間、ピカピカ・キラキラ・と、しかも、可愛らしく輝くイライザを演じ続けられて、450回目の舞台、オメデトウございます。
わたしはミュージカル公演には初めての参加ですが、出演者全員が毎日、真っ直ぐな気持ちで舞台に立ち、こころをひとつにして歌い踊っている事に、
感動しています。それは、ひとえに真央さん、貴女が毎日【昨日よりは少しでも好い舞台にしたい!】と、努力を積み重ねておられるのに引っ張られ
てのコトだと思います。真央さん、ありがとう。どうぞ、これからもキラキラと可愛らしく輝くイライザを演じ続けてくださいね。』
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千秋楽の打ち上げパーティの席で |
年齢はイっているのに、ミュージカル初参加で緊張しまくっていたわたしは、気の好い仲間のフォローで、随分と援けられましたが、
中でも真央さんの【間髪入れない突っこみ】で、失敗を笑いに替えてもらったことが何回もあります。
(ふふ。ご存知でしたか?真央さんは、突っこみ上手なの。) |
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千秋楽の前日なのに |
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わたしは開演の1時間チョット前に楽屋入りをして部屋でマイペースの発声練習とストレッチをしていましたが、
アンサンブルのメンバーは、もっと早く楽屋入りをして、各パートごとの歌と、ダンスの練習を毎日なさっていたの。
この舞台のためのトレーニングだけでなく、有志の人が集まっては↑の写真ような基礎練習や、アルゼンチンタンゴ等もなさってました。
(これまでは歌えないわたしは、ミュージカルを敬遠していたのですが、【ミュージカル大好き人間だ!】って書いてあるようなアンサンブルのみんなの顔に出逢って、
『ミュージカルって、素敵だなあ。また、チャンスがあったら出してもらいたいなあ!』と、思うようになれました。ふふ。ヨカッタなあ〜。) |
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♪ ヒギンズ家の召使役の8名による、気の合ったコーラスは【毎朝の手をつないでの練習】の成果なのヨ。
デジカメが、上手に使えなくて、どうも・・・。 こころをひとつにするために、毎朝どのグループも、それぞれに工夫をして、一回こっきりの真剣勝負の稽古をしていたのですが、その様子が伝わりにくい写真だなあ。ーーーーー(ノ_・。)くしゅん。
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たったひとりですが・・・。 |
今回の舞台で、わたしが頼みに思っていた方は、春風ひとみさんです。
千秋楽の日にお願いして撮った↓の写真・扮装でのツーショットが1枚しかないので、春風ひとみさんの素顔をご紹介できないのがザンネンではありますが、こころから感謝しているンです。
(⌒ー⌒) ふふ。素顔の春風さんは【謹厳実直な女執事】とでも言うような今回の役・ピアス夫人を演じるためには『キッチリと、普段から怖い系に〜楽屋でも、大きな口を開けて笑わないようにしよう!!』な〜んて健気な決意をなさる、う〜んとウント可愛い方なのデ〜ス。(⌒ー⌒* )フフ
春風さんは、今回の出演者の中で【わたしの一人芝居に足を運んでくださっていた、たったひとりの人!】だったのデス。
個人的な交流はないけれど、その後にわたしも春風さんの一人芝居を拝見して“相通じあえる方ダ!”と、決め込んでいました。
それで、稽古に入る前から“解からない事は、何でも春風さんに相談しよう!”と、頼みに思い、実際に頼りもしたのです。
どんな仕事でも初体験は怖い、と思う性格のわたしです。
今回の芝居は、劇場キャパが1800余名と云う大劇場ダ!!
おまけに、初めてのミュージカル!!
・・・歌も踊りもないのだから、ビビル必要は無い!とマネージャー達は言うのですが、『歌えないわたしが、ミュージカル作品の中にスンナリと溶け込めるのか?!こんなにソワソワした気分でいる人間に“ヒギンス夫人”の存在感が出せるのか?』と、ビビリまくっていたのです。そんな心細い気持ちを奮い立たせ、援けてくださったのが、春風ひとみさんの存在でした。
(⌒ー⌒)春風さん、ありがとう!(⌒ー⌒)。 |
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ずるっこいのかもネ。 |
楽屋の拵えかた・飾り方は各人各様ですが、
今回は<今回の舞台を一番喜んでくれそうな人・母>の写真を飾る事から始めました。
今は亡きわたしの母は、定年まで看護婦をして3人の子どもを育てあげ、それ以後も76歳まで別の病院で婦長を勤めた人物です。
76歳からは、わたしの一人芝居に、スタッフの一人として参加し、地方公演などでは主演のわたし以上に、人気を得ていたの。アハハ。
精神科の病院での婦長をしていた頃は、患者さんだけでなく周囲の看護婦さんも、常に寄りかかれるひと・婦長さんとして、多いに頼られていたが、わたしのスタッフに成ってからの母は、皆に大事にされて、甘える事が上手な・よしこさんに変身した。
今回の公演でわたしは、稽古の初日に親切に面倒をみてくださった安崎求さんに、公演期間中もず〜っと甘え続けた。
舞踏会シーン、暗転中に指定の位置まで毎回、彼に手を引いてもらって、歩いて行ってたの。あはは。
最初はホントに助かったのですが、少しずつ慣れて一人でも大丈夫に・・・。
でもネ・・・ <(_ _)>安崎さん、ごめんなさいネ。<(_ _)>
ずるっこいわたしは、千秋楽まで彼に甘え続けたの。あはは。
・・どこかで、母の真似を始めたのかしらネ・・・・。 |
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気のせいかしら、表情↑が母に似てきたと・・・。アハハ。 |
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いちばんチビでした。 |
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↑のツーショットでは、背の高さはそれ程気にならないでしょ?
でも↓の写真を、ご覧下さい。現実はこんなにも違うのです。
ミュージカル大好き人間は、みんな大きいの! 背が高かったの !!
写真の時にはこのように、皆さまが、かがんで背を揃えてくださるの。
けれど、楽屋から舞台までのエレベーターの中では
『今回の出演者の中で、一番のチビなんだ〜』って、感じてた。
・・・・・でも ・ まぁ ・ 好いか (・_・)ノ ?! ・・・・・うん。 アハハ。 |
ちあき しんさん、この方にもお世話になりました。
わたしが出演するのは一幕の後半から一幕の幕切れまで。
アスコット競馬場のシーンは、この作品の中でも指折りの、ミュージカルらしい華やかな歌とダンスで始まるので
途中から加わるヒギンス夫人が【しょぼくれた】顔で登場するコトは、許されない。
不思議な色合いの、ステキなかつらを、製作して頂いたし、着脱も床山さんが手伝ってくださるので、カツラに関する心配はないけれど
貴族の奥様方を演じられる、アンサンブルの皆さまのメークともマッチして、ヒギンス夫人の役割を果たせて・品位等も表せるようなメークって?・・・どんな感じにすべきなの?・・・と、
考えた折に、チェックをお頼みしたのが(自分のスタッフ以外では)アインスフォードヒル夫人役の、ちあきさんでした。ちあきさん、ご自身のことでも忙しい舞台稽古中に、
それとなく気に掛けていただいて、ありがとうございました! |
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出たがりなの !! |
日本初演の「マイ・フェア・レディ」では
“フレデイ”で出演され、今回は敵役ともいえるゾルタン・カーパシー役で
同じ作品に返り咲いた藤木孝さんは、ホント【芝居が大好き人間】
稽古の初日に、チラリと言葉を交わした時すぐに仰ったのが『 わたしって、出たがりなの。』
大地真央さん主催の 中日の会食会の会場へ向かう車に 同乗させていただいた時も
『わたしって、出たがりなの。』・・・・それが、とても楽しそうに仰るから
わたしも負けずに言った・・・・『わたしも うんと 出たがりなんです! 』
『 セリフなんか少なくったって良いの。兎も角、出ていたいの!』
『 だけど〜・・・。チョットでも仕どころがあれば、尚 嬉しいですね 』
『 そりゃそうよ 貴女。役者なんですもの。でもね、条件なんてドウでも好いの。
わたしは、出たがりだから、死ぬまで舞台に出ていたいの 』
『・・・・そうですねっ! 死ぬまで 舞台に出ていたいですねえ。
・・・その点、わたし達の仕事は定年がないから有難いですよね。健康でいて、ちゃんと歩けて
口が利ければ、出して貰うチャンスは有りますもんね !! 』
『 そうよォ !! お互いに、頑張りましょうっ !! 』
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☆☆ 藤木孝さんとお話している内に、わたしも『 仕どころが欲しい 』なんて贅沢は二の次で
【生涯現役でいるための強い意志が、一番大切なんだ!】と反省。『藤木さん・アリガトウ』☆☆
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ベテランの貫禄 |
わたしと同年代のお客さまに、チラシを渡すと決まった様に皆が、同じ質問をした。
『 アラ、これって月丘夢路じゃない。舞台やってるンダ〜! 』
『 お稽古場では、月丘先生のお隣に座って、お話もしてるのよォ 』と自慢をした。
石原裕次郎が好きで、ずっと見続けていた日活映画。
【輝く銀幕のスター】のひとりが、月丘夢路さん。
【その方と、ご一緒の舞台に立てる】その事だけでも、嬉しかった。
『 元気なンダ〜! 現在も、こんなにキレイなのォ?! 』と、声をそろえた友人達が
観劇後に、珍しく楽屋まで訪ねて来て 口々に言った。
『 奇麗だわ。それにあの貫禄は流石ねえ。』
『 ヤッパ、女優さんは凄い。』
『 生涯現役で居たい、って言ってる礼子さんも、月丘夢路さんと同じ年齢に成るまで、
絶対に、キレイでいなさいよ!! 』
『 奇麗で、貫禄が無けりゃ、アノ役は出来ないンだからね!! 』
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銀幕のスターだった方とわたしを、並べて言ってくれる友に感謝しながら、
『 は〜い。』と、好い声で返事をした。
そして心密かに【健康美?!】だけでも保持しよう! と決意した。ふふ。
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音を立てて・・?! |
【ひとが、成長してゆく音】なんて、聞いたことありますか?
わたし、65年の人生の中で、二度体験しました。
一度目は、白井晃さんの演出による『宇宙でいちばん速い時計』でのこと。
わたしはチームでは最年長でしたが、自分の役を把握するのも覚束ないので
ひと言のアドバイスもせずに、稽古を見てました。
白井さんのダメだしが、ある共演俳優さんのアドバイスでストンと、飲み込めたからだと思うのですがある日、旬クンの芝居が変わりました。
本番までの一週間、初舞台に近かった小栗旬さん成長音が鳴り響きました。
今回は、公演の本番中に【その成長音】を聞いたように思っています。
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お母さまが42歳の浦井健治さんと並んで、ふふ。
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『 昨日と今日のフレデイは、年齢が違って感じられのは、どうしてなの ? 』
『 はい。歌い方を替えました。夕べ真央さん主催の夕食会の折に、先輩からアドバイスをいただいたので・・・。』
(歌の出来ないわたしなので、間違ったことを言うのは恐ろしいが
キイを下げたりするのではなく、歌い方の問題らしい。)
それにしてもフレディは、初々しさをキープしたまま、好青年に変身。
見事な成長振り・変わり様に驚き、感動した。
また見事に成長をサポートした【先輩の存在】に、ひとり拍手を贈りました。
妬ましいと思うヒマさえない程に早く、素敵な成長を遂げる
若い俳優さん・浦井健治さんと仲良しになれたのは、超ラッキー!ふふ。
2月には浦井クン初主演のミュージカル「アルジャーノンに花束を」を
拝見するのを、楽しみにしているの。
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あこがれの的 |
身近に【尊敬出来る先輩】が居てくださるのは、ありがたい事です。
後輩がその人を注目し、その生き様までも真似たいと思うのは、当然。
今回のアンサンブルの出演者の、ほとんどの若者が尊敬し、また
【憧れの的にしていた人】は、上条恒彦さんだと思います。
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うんと若い人が、ミュージカル俳優に成ろうとして歩みだす時に「目標とし・憧れる俳優さんは?」と聞くと、かなり多種多様。
その多くは、映画で観た外国の俳優さんだったりして、遠い存在の人物。
研賛を積んで、実際にミュージカルの舞台に立つようになったあたりから具体的な目標として憧れの念を抱く人の存在に、気が付くようですね。
上条さんの楽屋入りは、早い。
今回アンサンブルに、わたしと一緒に初参加が出来たK子は
先輩たちに誘われて、歌とダンスの自主トレに参加するために
毎日かなり早い時間に楽屋入りをしていたようだったが、聞くと
『上条さんには、今日も負けました!』・・・と、兎も角、スゴイの!
あの、聞く人に安心感を与える上条さんの声量と、あったかい声
機関銃のように早口で言われるのに、説得力のあるセリフ回しも
全てが、毎日の努力で築きあげ、キープされている筋トレの成果なのです。
朝は、かなりのジョギングをなさってから、発声練習。
開演してからも、空いている時間には筋トレをなさってました。
(デジカメを持って見学に行ったものの、わたし等は一回も出来ないような筋トレで、「写真を撮らせて」等と言えませんでした!あはは。)
笑っている場合ではありませんね。上条さんをお手本にして
自分流の運動と発声練習のシステムを見直したいと考えて居ます。
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【お仕舞いの話は・・・・始まりのニュース】 |
初参加した帝劇での公演のあと、憧れの向田邦子作品『ビックリ箱』
紀伊国屋ホール公演から出演し、地方巡業にも参加しました。
その後も、博多の若者たち「劇団ショーマンシップ」の舞台『金印・怪異伝』
また、久しぶりの『草村礼子の一人芝居・じょんがら民宿こぼれ話』の公演も
彼らの協力を得て、大宰府天満宮・その他で上演し、舞台が三本と続きました。
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でも、こうして嬉しい再演のニュースと共に、お話できることになりました!
大地真央さんは、何回もあったお祝いの行事のカーテンコールで 『 わたしは、長い年月をかけて、イライザを育ててきました。』と話されました。
わたしは舞台の裏で、自分の出を待って聞き耳をたてている時に、実際に
昨日とは違う=より深い思いが込められたイライザの言葉を聴きました。
自分も出演している真剣勝負の舞台の台詞を語る力はないのですが、この時
『こうして舞台は・作品は成長を続けてゆくんだ!』 と、ふるえました。
『さようなら、プロフェッサー・ヒギンズ、もうお目にかかることはないでしょう。』
大地さんが仰ってた 【 育てている 】 は、この事なのだわ!
「その現場に立ち会っているわたしも、頑張らねば! 」と、思いました。
その作品の再演に、わたしも参加して、この春日本各地を巡演いたします。
是非とも、お出かけくださいね。
☆ 稽古が再開されたら「マイ・フェア・レデイ♪こぼれ話」の♪パート2を書いて、
また、ミュージカルを愛する演劇人の素晴らしさを、ご報告したいです。☆
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真っ先にお話したいのは、周囲を明るくする名人・羽場裕一さん↑の事です。ふふ。
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