たった一行のセリフですが
昨日の<原爆症認定をめぐる大阪地裁の判決>の報道で
被爆から60年過ぎた現在も、身体だけでなく(国と裁判をせざるを得ないコトの痛みをも抱え)生活している方たちが10数万円の医療費が受け取れる、という当然だと思う、判決を
【命の闘い 報われた】と喜んで居られたのが、心に痛く残りました。
痛みを抱えた高齢な人びとの事を思う時
たった一行のセリフでも、きちんと言わねば!と思う。
『 母親は、長崎の・・・8月9日の、おっきい爆弾でやられて、伊万里の親許にたどり着いたけれど、戦争の終わった日に、自分を産み落とすと同時に死んでしまった・・・』
(いま稽古中の芝居主人公のみやびが語るのせりふの一節です。)
「じょんがら民宿こぼれ話」は、昭和20年8月15日に母親の命と引き換えに、生を受けた女の話にしてあります。
当初は3部作にしたいと考えていたこともあり、みやびは<体内被曝をした>設定でした。
【戦争は絶対にイヤ!】と思って、その一行を書いたコトを、再確認して、稽古に励め!!・・・・・・・ナノよね。
コメント
『 母親は、長崎の・・・8月9日の、おっきい爆弾でやられて、伊万里の親許にたどり着いたけれど、戦争の終わった日に、自分を産み落とすと同時に死んでしまった・・・』 ・・・
このセリフは 百行にも 匹敵する重さを感じます。
今この国がある事の意味を 改めて考えなければ・・・。
投稿者: 早百合 | 2006年05月13日 15:32
お初にお邪魔致します。
昨夜は、お疲れさまでした。楽しかったです。m(__)m
戦争、原爆と言えば、うちの母、昭和20年の3月に
広島で生まれました。原爆が投下された際は、まだまだ
赤ん坊でしたので、自宅で1人で寝てたそうです。
投下後、祖父が助けに来たそうで、家はめちゃくちゃ
だったそうですが、運が良く隙間に居たそうで、助かった
そうです。
しかし、何人も居た兄弟などは被害を受け亡くなりました。
事業をしていた祖父は、戦後の大変な時代に人の良い祖父は
色々な人にお金を騙し取られ、事業はダメになった様です。
父の方は、両親と父の兄が亡くなり、私が祖父だと思って
いた祖父は、父を養子にもらってた祖父でした。
レイコさんのセリフも重いですね。。。
家族をも簡単に引き裂く戦争は、絶対に許せません。
またコメントさせて頂きますね。
投稿者: マー坊。☆☆☆ | 2006年05月14日 12:50
☺ マー坊さん、ゆうべも、上の書き込みも、ありがと。
それから、ごめんなさい。
メールの返信かいたけれど、本体と共にパーに!
稽古なので あらためてまた。
投稿者: Leiko | 2006年05月14日 14:39
マー坊さん。再申し込みは不要で~す。
ドジでした!あはは。
シッポに消し損ねた文はついたままでも、ちゃんと、着いてたのね。
これだから、時間が足りなくなるんだわ!あはは。
因みに50人目のミクトモさんでした。
投稿者: Leiko | 2006年05月14日 14:49
記念すべき50人目のマイミク有り難うございます。(^.^)
何か嬉しいです!
でも、無事に登録出来てて良かったです。(^。^;)ホッ
また楽しくチャットが出来たら良いですね。
メールの返信は残念です!また機会がございましたら。
おやすみなさい★。、::。.::・'゜☆。.::・'゜★。、::。.::・'゜
投稿者: マー坊。☆☆☆ | 2006年05月15日 22:28